4月18日(月曜日雨


6日の銀閣寺道チョキ


四郎勝頼の京都祇園日記-銀閣寺道4



【 哲学の道「関雪桜」のこと】


●哲学の道に桜並木が植えられたのは大正11(1922)年。(寄贈は大正10(1921)年)関雪が用意した若樹は約360本とされる。
●関雪が画家として大成した時に、自分が非常に困っていた時(京都に来てからの数年間は、食うや食わずでありその間に様々な人から厚意を受けたという。)におしみなく援助をしてくれた京都の人々に何か御礼がしたいので、何か良い案はないだろうかと夫婦で意見を出し合ったところ、よね夫人が「時下、世情もよろしくなく何か暗い雰囲気ですから、晴れやかになるように花を植えてはどうか。」と提案して桜に決まったとされる。
●大正11年以降も、数度にわたり植樹は繰り返された。
●「関雪桜」の名称は並木に対しての名称であり、特定のどの樹がそうであるということはありません。

●平成21(2009)年には岡山の国際森林研究所の協力により関雪桜のクローン化がなされ、老齢化の進む桜の代わりに植樹されることとなった。


●石碑が建てられたのは癸未の年(昭和18年) そこには亡き妻を偲ぶ関雪が詠んだ七言絶句詩が刻まれている。(以下内容)
<原文> 朶雲壓水一渠斜 春伴潺湲巡我家 悩殺幽人残夜夢 風々雨々不離花 白沙村人詠
<訳文> 雲のような満開の桜が疎水の上に垂れ 春は水の流れと共に我が家に巡り来る 幽人は昨夜の夢の続きの中にいて 風につけ雨につけ花の事が頭から離れないでいる
<意訳> 春になり桜の花が満開を迎える頃になると、私は毎日 妻と過ごした日々の思い出ばかりを思い出してしまい、私はあふれる涙を止める事が出来ずにいる。
朶雲=垂れ下がる雲=憂鬱な気分 一渠=疎水=心の溝 潺湲=水の流れ=涙が流れる様子 我家=白沙村荘 幽人=関雪 残夜夢=過去の思い出 花=桜=よね夫人



ー白沙村荘橋本関雪記念館HPよりー

四郎勝頼の京都祇園日記-銀閣寺道5

四郎勝頼の京都祇園日記-銀閣寺道3

四郎勝頼の京都祇園日記-銀閣寺道

四郎勝頼の京都祇園日記-銀閣寺道2


6日はこの後、大豊神社車若王子神社車お屋敷通り車金戒光明寺車真如堂車養源院と行ったよグッド!


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