1月22日(土曜日)


越前に入れば、越前国一の宮へ車DASH!

祭神は伊奢沙別命(気比大神)を主祭神として以下の6柱を祀る。
四郎勝頼の京都祇園日記-気比神宮4

四郎勝頼の京都祇園日記-気比神宮2

四郎勝頼の京都祇園日記-気比神宮

仲哀天皇(帯中津彦命)、神功皇后(息長帯姫命)日本武尊、応神天皇(誉田別命)、玉妃命、武内宿禰命。

気比神宮が史上に姿を現すのは『日本書紀』神功皇后摂政13年条の、皇后が誉田別命と武内宿禰を参拝せしめた記事であるが、かなり古くから鎮座していたのは確かであり、『気比宮社記』によれば、神代よりの鎮座で、当宮に行幸した仲哀天皇が自ら神前に三韓征伐を祈願し、征伐にあたっても皇后に玉妃命・武内宿禰を伴って当宮に戦勝を祈願させ、その時気比大神が玉妃命に神懸かりして勝利を予言したという。

中世を通じて一般に北陸道総鎮守・越前国一宮と仰がれて隆盛し、南北朝期には南朝方に与したため神領地を滅じた。戦国期に大宮司気比憲直が朝倉氏についたため、1570年織田信長の越前攻略により、社殿焼失、社領没収され、社勢は衰退したが、江戸期に福井藩祖の結城秀康によって再興されるとともに社領100石を寄進されて以来、福井藩や小浜藩の保護を受けた。





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