11月12日(金曜日)
今日からは佐竹氏を訪ねてです
舞鶴城址
1109年に藤原秀郷の子孫、藤原通延四が、下野国から太田郷に入り、太田大夫と称して築城したのが始まりとされる。さらに、源義光の孫昌義が後三年の役の功により領有することになった地名をとって、佐竹氏を称したのち、二代隆義は当時の太田城主藤原通盛(通延の孫)を服属させて小野台地(瑞竜中学校周辺)に移して小野崎氏を名乗らせ、自らは太田城に入った。入城の日、太田城の上空を鶴が舞いながら飛んだので「舞鶴城」と名づけたという。
舞鶴城の本郭は現在の太田小学校一帯,二の郭は内堀町から若宮八幡宮一帯,三の郭は栄町の大半で,搦手は北側にあったとされています。なお,若宮八幡宮の境内には,「太田故城碑」が建っており,当時の名残を留めています。
∑ヾ( ̄0 ̄;ノエ~そんな城碑見当たらなかったよねぇ さとるチン
若宮八幡宮
佐竹氏の氏神。佐竹氏13代義仁が,1394年に鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を,舞鶴(太田)城中に奉るようになったのがその始まりと言われている。現在の場所に移されたのは1708年のことで,水戸徳川氏においても篤い信仰を集めた。鳥居をくぐったすぐ先にある樹齢500年の大ケヤキは,茨城県指定文化財です。
![四郎勝頼の京都祇園日記-若宮八幡宮5](https://stat.ameba.jp/user_images/20101030/23/katsuyori/33/f9/j/t02200132_0400024010830826393.jpg?caw=800)