11月11日(木曜日晴れ


武田氏館のすぐ隣にある湫尾神社


四郎勝頼の京都祇園日記-湫尾神社5


四郎勝頼の京都祇園日記-湫尾神社4

四郎勝頼の京都祇園日記-湫尾神社2


四郎勝頼の京都祇園日記-湫尾神社3



四郎勝頼の京都祇園日記-湫尾神社7

凄く強調してるけど・・・遺構が皆無は辛いなぁ(゚_゚i)汗



四郎勝頼の京都祇園日記-湫尾神社8


祭神:素戔嗚尊
神社の創建年代は不詳。武田氏館の北西にあたる断崖上に鎮座。
慶安元(1648)年に神社を再興した際に「武田大神宮」と称した記録が残っている。元禄年間には水戸藩主徳川光圀が神鏡を納めている。
水戸藩では宗教統制改革として寛文6(1666)年に一村一鎮守の令を出し神社整理の基準として「鎮守開基帳」を定めている。この改革でもって神仏分離をし、鎮守社から仏教的要素を排除、神体の改革等をおこなっている。元禄年間に「神鏡」を納めているのもこの一環といえる。
再興後は「武田大神宮」と呼称されていたがその15年後の寛文3年の「鎮守開基帳」では「沼尾明神」、そして現在の「湫尾神社」と社名が改められており、武田氏との関係や、鹿島市にある沼尾神社との関係も推定できる。


と有るが、まず武田氏との関係は皆無と思われる。

神社のどこを見ても武田菱が無い。慶安元(1648)年に神社を再興した際に、甲斐武田氏との関係を知ってたら、必ず武田菱を使った筈ビックリマーク水戸藩には甲斐武田氏の遺臣がたくさん居たのである。この時代、甲斐武田氏と関係の有る土地とは思われていなかったのであろう。



四郎勝頼の京都祇園日記-湫尾神社9
入母屋千鳥破風軒唐破風茅葺の拝殿


四郎勝頼の京都祇園日記-湫尾神社10
流れ造り銅板葺の本殿

四郎勝頼の京都祇園日記-湫尾神社6
怪しいおやじ、さとる氏

この顔にピンと来たら119番ヽ(゜▽、゜)ノウヒャヒヤ

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