8月7日(土曜日晴れ


相模武田氏


武田三河守

武田甲斐入道聖観の子。甲斐入道聖観は甲斐武田氏であろうが、系図的には不明。1352年6月7日付の足利尊氏御教書に領地安堵のことが見える。さらに8月には尊氏より円覚寺正続院領として相模国厚木郷寄付の施行が命ぜられている。これにより三河守は相模守護職か守護代と思われる。



武蔵武田氏


武田又太郎

真里谷武田氏の一族。北条氏康に属した。『小田原衆所領役帳』に、江戸衆として武蔵国久良岐郡六浦に127貫文の知行地を持つ『武田殿』がおり、この一族とみられる。

かって真里谷武田入道(清嗣)が度々この六浦庄金沢を訪れたり、内紛に敗れた真里谷武田信隆が北条氏綱を頼んで金沢に在宿したりして、当地と真里谷武田氏との関係の深さが解る。

又太郎は永禄年間、里見義弘が相模国三浦三崎へ攻めて来た時、戦功をあげ北条氏康より感状をもらっている。

この時代の『武田殿』は真里谷武田信隆の後継名と思われる。


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