7月6日(火曜日くもり


庭の桔梗が満開ですグッド!
四郎勝頼の京都祇園日記-庭の桔梗

四郎勝頼の京都祇園日記-庭の桔梗2

武田道信 ? -1481(太郎・上総介・道卜)

武田信高の嫡子。長南城主。1481年3月21日の死去とされ、これは高野山西門院所蔵の『武田家過去帳』の「長南城主武田殿先祖」と記されている人物に当たる。


武田清嗣 ? -1511(八郎五郎・信政・信興・三河守・三河入道道鑑)

武田信高の子。母は結城播磨守直弘の女。真里谷城主。小櫃川流域の畔蒜庄・飯富庄・菅生庄及び養老川流域の市原庄周辺にかけてを支配した。

文明年間(1469-87年)笹子城を築いた。里見氏側の諸書によれば、1471年里見義実に攻められ降伏している。1479年7月には太田資忠・千葉自胤に攻められ、太田氏に帰服し子の信嗣を上総に置き自らは武蔵石浜城の千葉自胤のもとに移り、にち1499年石浜の金龍山浅草寺を再建した。

明応年間(1492-1501年)には中尾城を築いた。1509年10月頃畔蒜庄を押す領した。のち剃髪して道鑑と号した。菩提寺真如寺の開基。

                                      【真里谷武田氏】


武田国信 ? -1552(三郎)

武田信高の3子という。佐是城主。祖父信長より佐是城を与えられた。天文年間(1532-54年)佐是城を強化、改造した。1552年椎津城主武田信政が里見軍の猛攻を受け、その援軍に赴き討ち死にした。



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