8月5日(水曜日晴れ


武田元綱(安芸守) ? -1505?

武田信繁の4子。安芸守護代。

1457年4月、大内教弘に攻め込まれ敗北。吉川之経の奮戦により銀山城落城は免れた。しかし安芸南部と芸予諸島の大半を奪われた。1465年再び大内氏に攻められ銀山城に籠城し戦ったが、毛利・小早川両氏の援軍で辛うじて大内軍を撃退した。この勝利で芸南地方も回復した。

1466年伊予国へ攻め入り忽那通光と戦う。

1467年京都等持院で畠山義就と戦う。1471年細川方の兄、信賢・国信に反抗し、大内方として挙兵し兄弟争う。1481年大内氏の仲介で兄国信と和解した。1492年国信の死により、安芸分郡守護職を実質承継した。


武田元繁(太郎左衛門・刑部少輔) ? -1517

武田元綱長子。安芸守護。

1492年将軍足利義稙の佐々木高頼征伐に際し、若狭の武田信親とともに出陣し武功をあげる。

1508年本宗家若狭武田家から独立し、同年大内義興が足利義稙を推戴して上洛した際、同行した。1515年将軍足利義稙の命で帰国、尼子氏に備えたが、義興の留守をつき周辺の国人領土を略奪した。同年己斐城を攻めたが、大内義興の命をうけた毛利興元に背後をつかれ、引き返した。

1517年2月山県氏を討つ。同年10月有田城主小田信忠が元繁に背いた為、元繁は有田城を攻めたが、援軍毛利元就のために、熊谷元直が討たれ、戦闘中に流れ矢が元繁に当たって戦死した。


次回は武田光和・小三郎ですグッド!