7月30日(木曜日くもり


武田信在(治部少輔・伊豆守)

武田氏信の嫡子。『甲斐信濃源氏綱要』によれば、母は小笠原信濃守宗長女とある。1379年父氏信が没し家督を継ぐ。

1397年安芸国佐東郡の分郡守護が確認されている。1398年佐東郡の厳島神社を押領し、幕府から返還を命じられる。


武田信守(刑部大輔・伊豆守)

氏信の2子。1412年佐東郡、山県郡の分郡守護となる。『系図研究の基礎知識』では信在の子となっている。


武田信繁(伊豆守・伊豆入道長光) ? ー1450

信守の子。『甲斐信濃源氏綱要』では、母は京極道誉女とある。1430年閏11月、安南郡、山県郡の郡守護が確認されている。


武田信栄(彦九郎・治部少輔) 1413ー1441

武田信繁長子。『永享以来御番帳』の御相伴衆の中に「武田伊豆九郎信栄」として名を載せている。

1440年5月15日、將軍足利義教の命により、大和征伐の陣にあった若狭国守護一色義貫を討ち、その功によって同年若狭守護となった。しかし、義貫の家臣若狭守三方忠治に刺された傷が癒えないため没したという。

1440年6月、尾張国知多郡の分郡守護が確認されている。

                                      ⇒若狭武田氏


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