7月5日(日曜日くもり


まだ熊本なので、歴史ですグッド!


安芸武田氏

甲斐武田信義の子信光は甲斐・安芸両国の守護を兼任。その後信時・信宗・信武が両国の守護に任じられた。信時は1274年の蒙古襲来に際し、初めて安芸国に下向し在国した。この時期『熊谷文書』によれば佐東郡地頭武田泰継が三入庄地頭熊谷氏と川船の通行税、鵜船の税収、倉敷などの事で争っている。この泰継はどの武田系図にも現れないが、信時の弟信泰の子と考えられている。

信武も安芸国に在国し次男氏信も在国、国内で転戦した。

氏信は初め安芸国守護代、ついで安芸国守護となったが、1367年守護職を解任された。しかし信在・信繁と分郡守護の座を確保し、信繁の長子信栄は若狭国守護職を与えられ、弟信賢は若狭国守護と安芸分郡守護を兼務した。

1508年安芸国在国の信繁の末子元綱の子元繁が若狭武田氏に反して安芸国で自立し、以後この系統が安芸国守護として継承していった。


次回は武田直信、氏信兄弟ですグッド!