4月17日(金曜日)
青春18切符が1枚残ってたので、有効期限ギリギリの10日に桜の城巡りの旅に出た勝頼が使ったら青春50切符やん(^▽^;)ア、アハハ
でも勝頼の下半身は青春だもんねγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
第一候補は姫路城ー津山城ー岡山城
第二候補は姫路城ー岡山城ー丸亀城
第三候補は長浜城ー彦根城ー安土城
で、姫路は桜のピークが過ぎたと言う情報を得たので、第三候補にした
まず長浜行き新快速に乗り、長浜へ向かう
模擬天守閣から見た東西南北
1573年(天正元年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を長浜に改名した。小谷城で使われていた資材等を使用し築城を開始した。
同3・4年頃完成し入城。湖水に石垣を浸し、城内の水門から直に船の出入りができるようになっていた。城下町は小谷城下(滋賀県東浅井郡湖北町伊部)からそのまま移した。そのため、現在でも城下町には当時の面影や名残がある。秀吉が最初に築いた居城である。 本能寺の変後、清洲会議で長浜の支配権を獲得した柴田勝家の甥の柴田勝豊が入城するも、まもなく勝家と対立した秀吉に攻められ落城した。賤ヶ岳の戦い後は、山内一豊が6年間在城し、内藤信成・信正が城主になるが1615年(元和元年)に廃城になり資材の大半は彦根城の築城に流用された。彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられている。その他、長浜市内にある大通寺の台所門は長浜城の大手門を移したものと伝えられ、今でも矢尻の跡が残っているを見ることができる。同市内にある知善院の表門は、長浜城の搦手門を移したものと伝えられている。
現在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルにし模擬復元されたもので市立長浜城歴史博物館として運営されている。