3月2日(月曜日雨晴れ


新津氏

源義光ー平賀盛義ー有義ー資義から出る。信資が越後国蒲原郡金津庄新津西城に住み、新津氏と称した。城氏に属していたが、1506年新津越前守が長尾為景に服属したのを初めとして、以後上杉謙信、景勝に仕えた。


金津資義(金津小二郎)

平賀有義の長子。越後国蒲原郡木津に拠った。承久の変の時、北条朝時に従い北陸道から上洛した。


金津資直(蔵人・左衛門尉)

金津資義の長子。蒲原郡金津地頭職となり東城に住んだ。『尊卑分脈』に「木津東方」とある。


新津信資(三郎・越前守)

金津資義の2子。蒲原郡金津庄新津西城に住み、新津氏を称した。『尊卑分脈』に「木津西方」とある。


新津正資

新津信資の子。


新津資義

新津正資の子。


新津義包

新津資義の子。


新津詮義(上総介)

新津義包の子。足利尊氏に属し、上野国で戦死した。


新津信成

新津詮義の子。


新津親義

新津信成の子。


新津義成

新津親義の子。越後国守護上杉房方に属した。以後府中上杉氏の家臣となった。1440年の永享の乱には房方に従い、関東管領上杉憲実を援けた。


新津長資

新津義成の子。


新津義勝(越前守)

新津長資の子。上杉房能に属した。


新津景資(正義)

新津義勝の子。長尾為景に仕えた。


新津勝邦(正世)

新津景氏の子。


新津資相(大膳亮)

新津景資の子。1559年上杉謙信の上洛を祝し太刀を献上した。1573年謙信の命で越中に出陣。1575年の『上杉氏軍役帳』に名が見え、軍役91人を負担した。


新津勝資(義勝・資義) ー1600

山吉政久の2子。新津勝邦の女を室とし勝邦の跡を継いだ。上杉謙信に仕え、1561年の川中島合戦に参加。1583年の本庄繁長の謀反、1586年の新発田氏の乱、1590年の小田原陣に上杉景勝に従い出陣した。文禄の役にも渡鮮した。


新津秀祐(内記・丹波守)

赤津弾正の2子。勝資の女を室とし勝資の跡を継いだ。1598年陸奥二本松城代安田能元の同心衆として2千石を領した。関ヶ原合戦後、上杉景勝に従い米沢に赴き、7百石を領した。


新津続家(理白)

山岸尚家の2子。新津秀祐の女を室とし秀祐の跡を継いだ。1614年大坂の陣に須田氏に属して出陣。その先鋒となり傷を負った。翌年の大坂陣にも従軍した。



次はいよいよ甲斐源氏、常陸源氏、信濃源氏の始祖源義光ですグッド!