Creative my Life -13ページ目

この世で一番好きな色

私がこの世で一番好きな色。

その一つは、間違いなく干し柿のオレンジ色です。控えめなのに上品で、まるで洗練された貴婦人みたい。どんな曇り空でも元気をもらえる、そんな色です。


家族が好きすぎて、毎年あっという間になくなってしまう干し柿。今年はふるさと納税で大量に購入して、みんなで一気に仕上げようと思ったのに、配達されたのはまさかの月曜日。。


週末までは待てず、結局私一人で全部やることに。量が多くて2日がかりとなりましたが、箱の中からぷりんぷりんと語りかけてくる柿たち見ていると、手を動かさずにはいられません。一つ一つがとてもかわいい。干し柿作りは無心で手を動かせるので、ある意味これも一つの瞑想。


段ボールいっぱいの生まれたての干し柿。きれいに皮をむかれて貴婦人となり、熟女を経て、最後はシワの一本一本が愛しい老婦人へ(笑)!!


今年も温かい太陽と冷たい風をその身に受けて、家族に笑顔を運んできてね。


ちなみに一番の熟女好きは三男です。熟したそばから食べていってしまうので要注意🤣!シワシワ老婦人とプレスで入れた珈琲の組み合わせをこよなく愛する夫に、今年はたくさん残してあげてね😝


からくれないに染まる紅葉

2021.11.4保育園記録

ナマケモノよ、さようなら

最近、個人的に集中して頑張ってきたことがあるのですが、その努力が実を結び、この度公認心理師に合格することができました。

今まで運だけで、綱渡りのようにここまで生きてきた自負があるのですが(笑)、今回だけは自分の努力を認めてあげたい。

昔から私は本当にギリギリの状態にならないとスイッチが入らず、大学生のときに友人から例えられた動物はナマケモノ。予想もしなかった動物に最初「えぇっ!?」となりながらも、確かにそうかも、、と妙に納得したのを覚えています。

でも、ナマケモノよ、さようなら。

今回だけは運転中、家事中、ときには夜中の授乳中さえ、限りある時間を最大限活用し、ありとあらゆるリソースを駆使し、私の持てる力の限りをぶつけて臨みました。

すると明確な事実に一つ気付いたのですが、目標を決めて、コツコツと努力をするのは楽しかったのです。とても。

勉強って自分のペースを見つけるまでが一番大変なのかもしれません。やることと方向性とゴールさえ明確になれば、あとはそこにエネルギーを注ぎ込めばいいだけなので、雑念が消えて集中力が高まってくるのですね。この段階になると、まるでランナーズハイのように、本当に苦しいのが楽しくなってきました。

初めてテキストを開いたときになんの試練かと思われた内容は、深堀していけばしていくほどひたすら面白く、知識を体に染み込ませていく感覚にはこの上ない充足感がありました。

脳内ネットワークが構築されていくにつれ、自分自身もちょっとだけいいモノに変わっていけるような、そんな忘れ難い試験勉強期間でした。

資格は単なる通過点でしかないけれど、それでもここまでよじ登って来られたことはそれなりに感慨深いものがあります。

ここまで後押ししてくれた全ての存在に感謝せずにはいられません。

両親に。夫と4人の子どもたちに。
小さい人たちを預かってくれる保育園に。

大きい人たちを預かってくれる小学校に。
毎日勉強場所を提供してくれたLECTさんにも。

本当に本当にありがとうございました。

これからも子どもを取り巻く諸問題に少しでも貢献できるように、支援が必要な子どもたちの役に少しでも立てるように、力を注いで参りたいと思います。

とりあえず12月から週3回で乳児院&保育園のサポートに入る予定なのですが、それ以外にももし修行させていただける場があれば、どんな些細なことでも大歓迎ですのでお声がけいただけると嬉しいです。


緊急事態宣言でまさかの扉が開かず、外で勉強。


受験前日にこれが最後と思ってのんだ、タピオカミルクティ。脳みそぶっ飛ぶくらいの甘さ、忘れません。笑

合格したことを証するー!!


夢の中で死ぬ話

先日とても久しぶりに、ストーリーのある長い明晰夢を見ました。

夢の中で死んでいく感覚の、なんとリアルなことよ。


荒ぶる海を前に成すすべがない人間。

海には何らかの害を与える存在がおり

誰かがそれを整えなくてはいけません。


そこで私はある儀式の元、自分の命を捧げて

海そのものとなりました。

海となった私は、大いなる波を起こし

悪しきものをこの身の中に沈めていくんです。


そして残された家族が幸せでいることに

心から満足しながら夢を終えました。


最後は穏やかな気持ちで魚と戯れながら。

あるいは、空や海を自由に駆け回りながら…。


とにかく面白かったのは

夢の中で死ぬ過程を完全に体験したことでした。

その感覚が今もしっかりと焼き付いています。


儀式ではまず不思議な煙を嗅がされました。

剣とかで刺されないでよかった〜、

と夢の中でも安堵しているから笑ってしまう!


するとその瞬間全身の力が抜けていき、

自分の肉体がまもなく機能しなくなることを

私はしっかりと認識しています。

痛みはありません。悲しみもありません。

ただ使命感だけが、その過程を見守っている感じです。


意識は薄らいでいくのだけど広がっていくような、

穏やかに母親の産道をもう一度通っていくような、

そんな感覚でした。


死ぬってつまり、

向こうの世界に生まれることなのかもしれません。


ほどなく移行が完了し、意識だけとなった私は

海そのものとして目を覚まし、

煌めく空を見上げながらこの上なく自由を感じています。


そして肉体って制約だらけだったんだなぁ、なんて

夢の中で思ってるんです。


とてもリアルで、不思議な夢でした。


大事なことは夢で知ることが多い私ですが、

実際に死ぬ瞬間もこんな風に意識的でありたいと心から思いました。


でも、あちらの世界に生まれるにはまだ早い。


死ぬのも奇跡なら、肉体があることはそれ以上にまさに奇跡。

あの夢のおかげで、マグカップが掴めるということすら

感動を覚えてしまう朝でした。


心ここに在らざれば、みえども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず。


でも心がここにありさえすれば、

どの瞬間も世界は本当に美しい。