週明けの教室には、ほかのどの日でもない独特の静けさが漂っている。
 ほんの少しひんやりした空気の中に、週末の余韻がまだふわりと溶け残っていて、
 窓から差し込む朝の光が、机の上に柔らかな影を落としていた。
 私は鞄のチャックを開けながら、その光が手元に触れるたび、心がゆっくりと整っていくのを感じていた。

 月曜日の朝。
 それはいつも少し緊張する時間だ。
 控えめな性格の私は、クラスのにぎやかな空気に飛び込むのが得意じゃない。
 週末にすこし解きほぐされた心は、月曜の朝になるとまたキュッと固くなる。
 ——今日もちゃんとやっていけるだろうか。
 そんな不安が胸の奥で静かに羽ばたいている。

 でも同時に、「今日からまた始まるんだ」という前向きな気持ちが、背中をそっと押してくれる。
 その両方が入り混じった独特の感覚が、週明けの教室にはちょうどよく似合っている気がする。

 教室に早く来る理由は、きっとこの静けさに救われているからだ。
 まだ誰もいない教室で、机を整えたり教科書をそろえたりする時間は、私の心をゆっくりと日常へと戻してくれる。
 カーテンの隙間から差し込む光が揺れるたびに、
 胸の奥で固まっていた緊張が、温かい息を吐きながらほどけていく。

 ふと、机の端を指でなぞりながら思い出す。
 中学生の頃、月曜の朝が苦手で仕方なかった時期がある。
 週末の楽しさが終わってしまうことが寂しくて、
 学校へ向かう足取りが鉛のように重かった。
 けれど、あるとき母が言った。

 「月曜日は、心をゆっくり起こす日でもあるんだよ」

 その言葉は、曖昧だけれど優しい意味を宿していて、
 忙しない一週間に飲み込まれそうになっていた私を、静かに救ってくれた。
 “ゆっくりでいいんだよ”
 そのメッセージだけで、どれだけ気持ちが楽になったことか。

 今、こうして高校生になっても、その言葉はまだ胸に残っている。
 ゆっくり息をするように、教科書を取り出し、ノートの位置を整える。
 そんな小さな所作の積み重ねが、少しずつ心のエンジンを温めていく。

 窓の外から、まだ少し眠そうな鳥の声が聞こえてくる。
 校庭の隅では、朝練を終えた部活の生徒たちが笑いあっている。
 遠くのほうからはチャイムの予告音が微かに響く。
 そんな小さな音の連なりが、私の朝をそっと形づくっていく。

 クラスメイトが一人、また一人と教室に入ってくると、空気は少しずつにぎやかになっていく。
 それにつれて、心のどこかがまた緊張し始めるけれど、
 もう大丈夫だと静かに思う。
 だって、さっきまでの静けさが、ちゃんと私を整えてくれたから。

 週明けの不安は消えたわけじゃない。
 でも、あの柔らかな朝の光の中で、私は自分にささやくことができる。

 ——今日の私は、今日の私のままで大丈夫。

 背伸びもしなくていい。無理に明るく振る舞わなくたっていい。
 ただ、昨日より少しだけ前を向けたなら、それで十分だ。

 鞄をそっと閉じた瞬間、小さな達成感が胸の中にふわりと灯る。
 こういう、誰にも気づかれない小さな “よし” が、
 私を強くしてくれているのだと思う。

 そして、チャイムが鳴る。
 週明けの最初の音は、いつもより高く響いて聞こえた。
 その音に背中を押されるように椅子へ座り、私は静かに息を吸う。

 今日もまた、一日が始まる。
 ちょっと緊張しながら、それでも前を向いて。
 そんな私自身を、少しだけ誇らしく思えた。

 月曜日の朝の光は、今日もさりげなく伝えてくれている。
 「ほら、大丈夫。今週もゆっくり、歩いていこう」と。