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http://yakyu-column.jp/commentary/2018-6-1
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5体を使いキャッチャー目がけてボールを投げ込むピッチャー。
5体を使って、ピッチャーが投げ込むボールにバットという道具をアジャストするバッター。
やることが全く違うピッチャーとバッターは対戦しているとは言えない。
守っている野手の人数を変えたらどうなるだろう。
野手を増やせば、打率は落ちるだろうし、減らせば当然、打率はあがる。
ボールのかたさや大きさはどうだろう。
統一球が話題になった頃は、明らかにホームランの数に影響が出た。
これではっきりしたことだが、当然かたさや大きさを変えれば、
投手と打者の有利、不利は変わるのだ。
バットが割り箸だったら、あるいは金属バットだったらどうだ。
一昔前の社会人野球は金属バットだった。
10点ゲームの試合はザラ、野球自体が異質なものだった。
ルールが複雑で、道具に対する規制という恣意にて競技自体の性質が変わってしまう野球はピッチャーとバッターでの優劣は計ることはできないということだ。
ピッチャー同士、バッター同士の優劣は計れても全く違う動作をするピッチャーとバッターでは対戦という表現は本来、あてはまらない。
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