1968年10月22日に

俺は生まれた


はるか56年も前なんて

スゴい月日は流れたんだな…



8月の後半あたりから

スゴい空気中に違和感を

感じていた


まるで電子レンジの中に

すっぽりと街中が包まれてる

ような感じがしていた


そして9月になったばかりの日


突然、左足の太ももあたりが

ツったような激痛に見舞われ

普段なら痛みはすぐに治まるはずが

永久におさまらなかった…


普段は病院には行かない俺だけど

なぜか本能の赴くままに

近所の整形外科に行き

診察してもらい

そこでは血流の検査とレントゲンを撮り、結果は異常なし

との事で1週間様子をみる事にした


1週間経過しても

左足の腫れは引かず

太もも付け根から足先まで

パンパンに腫れていた …


これは…


なんか異常があると思い

 駅前の小さなクリニックを

訪ね診察してもらった結果

足の 小さな傷口から細菌が入ってるとの診断で抗生剤を2週間飲む事にした


しかし


まだ腫れは引かず


またしても抗生剤を2週間

延長して飲む事にした


しかし

まったく足の腫れは引かなかった


クリニックの医師が言うには

大きな病院で点滴治療を入院して行わないと改善しないだろうと話した


医師に紹介状を書いてもらい

大きな病院の受付に

紹介状を出すと


なんと

今は診察出来る課が無いらしく

門前払いを 受けてしまったのだ



いっきに

今までの治療が振り出しに

戻ってしまった絶望感


とりあえずタバコに火をつけ

冷静に考えてみた


そうだ

昔、JCに入ってた時の知り合いの

整形外科医師を思い出し


小さな規模ながら

設備も整えてるこの病院ならば

点滴治療をしてくれると思い

すぐに向かって診察してもらった


俺の左足を見て

これは菌じゃなく

血液の異常であると言う見解だった


すぐに

スタッフが対応出来る病院を

リストし電話で交渉してくれていた


比較的に近場で対応してくれそうな

大きな病院は3つ


ひとつは

今朝、門前払いされた病院


血液課に変更するも

医師不足で対応する事が

出来ないとの回答


2つ目は

オヤジを殺した 病院

コレは 絶対に行かない


3つ目は

最近、加須に出来た大きな病院


俺的にけっこう良いイメージを

持っていた病院で

すぐに受け付けてくれるとの事で

すぐさま加須の病院に向かい

診察を受けた


到着後すぐに

 採血 心電図 レントゲン エコーの検査を受けて医師の診断を受けた


医師はしっかりした人で

ひとつひとつ丁寧に

病状を説明してくれた


どうやら菌は全く関係なく

左足の中枢にある血液に

血栓が出来て、それによって

左足に不具合が生じてると言う

診断であった


さいわいながら

手術などはせずに血液をサラサラにする薬で治療出来るとの見解だった


こうして

 俺の長い1日はなんとか

無事に終えることができたグラサン


しかし

想い起こせば最初の医師が

きちんと診断出来てたら

こんな長期間とムダな抗生剤を

しなくても済んだと思うと

ホントにムカつくぜ銃


しかし

知り合いの医師と

交渉してくれたスタッフ


そして

加須の病院のコンシェルジュには

ホントに感謝しているグッド!


 このまま無事に

回復する事を期待したいねキスマーク


やはり

人の人相は確実に

人柄を表してるなグラサン


悪人は悪人顔

バカはバカな顔だグラサン


はてなマーク

俺の人相もヤバいかもグラサン


世の中

衆議院選挙の真っ最中だけど

悪人は落選しますようにびっくりマーク


俺の長い最悪な

誕生日前日の出来事を

ここに記録するドクロドンッ


2023年10月13日0時30 

最愛の
まるこ🐶が天国に旅立ってしまいました



2006年10月
生まれて間もない
真っ白でまんまるの
可愛い女の子は
俺の元にやってきた

神様がくれた
サイコーの誕生日プレゼントだった🐾


以来17年間
元気で可愛いワン娘は
いつもいつも一緒だった




俺の元に来てくれて
ホントにありがとう♥




楽しく幸せな犬生だった

それだけは
自信を持って言えるくらい
大切にありったけの愛情を注いでいたよ


ありがとう✨まるこ🐶

安らかに💐

昭和15年
戦時中の福島に産まれた



けっして裕福ではなく

大家族の
三男だった

養子にだされたが

縁先の火事で
すぐに帰ってきた

『NAOKI』




中学もロクに行けず
家のために働いた


卒業すると
東京へ大工の見習いへと
上京した

『NAOKI』



渋谷の石井建設で仕事
を覚えていった


高度成長期の東京の
街を作っていたひとりだった


それは
数知れず沢山の建物を作っていった


そして単車に夢中だった


『NAOKI』




下北沢に上京して働いていた
母ちゃんに出会い
結婚した


『NAOKI』





やがて
女の子を授かった


故郷から
両親を招き東京を案内した


『NAOKI』



その2年後

埼玉の田舎へ引っ越し
俺が産まれた


男の子が欲しかったらしく
俺が産まれた時
大変喜んでいたらしい

『NAOKI』



俺が中学のころ
一度だけ弁当を作ってくれた

その不味さは
今でも忘れない


俺がガキだった頃は
よくぶっ飛ばされた

ガラスに足を突っ込んで
切れた傷痕は今でも残っている


酔っぱらって
クルマを真っ逆さまにして
ヤバいと思って
電車にのって逃げたこともあったな


当時ステレオが欲しくて
ねだったが
絶対に俺には買ってくれなかった


『NAOKI』



高校の時
停学になり
親が呼び出しで迎えに
きた時の顔

無言のままクルマに
乗って帰った時のこと

よく覚えている



俺がバイクの免許取り立ての時
一度だけ
ふたりで長瀞までツーリングに
行ったこともあったな


『NAOKI』



冬になると
散弾銃を持ち猟犬を連れて
狩猟に行っていた


九州に赤やまどり
を狩りに行くのが気に入ってたらしく
毎年、何年も続けて
出かけていた



俺のバンド時代が
イヤだったのか
長髪にメイクの写真は
全部こっそりと燃やしていた


『NAOKI』



突然
市議会議員に立候補する
なんて言いはじめて
家族の反対を
聞かないまま
どうにか落選せずに三期務めた


いつも
自分の想いのまま

自由奔放に生きてきた


『NAOKI』


思えば
いつの時も
振り回されっぱなしだった


俺が近くに居ずに
どこか
遠くで暮らしていたら
どうなっていたのだろう


でも
俺は近くで
その行動をずっと見てきた


それが
良かったのか
悪かったのか
答えは永遠に出ないだろう



人生の岐路は
俺にもわからない


『NAOKI』



2年前
自動ブレーキ付の
新車をプレゼントした


少しでも長く
大好きなクルマを
乗れたらいいななんて


今年の夏には
白内障の手術もして
視力も1.5まで
見えるようになっていた


『NAOKI』



まさか
世界中がこんな
狂った時代になるなんて
思いもしなかった


81才だが
まだまだアタマはキレて
ボケとは無縁だった



純米酒が大好きだった

揚げ物が好きだった

マグロの刺身が大好きだった



競馬に夢中で
ネット投票だけPCを
使えるようになった



会長職が定番で
今年
また
町会の会長を引き受けた


具合が良くなかった
母ちゃんの面倒を
親身になってみていた


ひとりで寂しく
晩酌してる姿を思い出す


『NAOKI』



訳のわからない注射は絶対に
打たせないと言った俺の言葉に
一時は理解していたが
同調圧力に負けて
打ってしまった


『NAOKI』


朝まで元気にしていたのに


9月20日の事だった


救急車から集中治療室

最後は

俺とオヤジだけだった

『NAOKI』



俺はオヤジが
注射を打つと言った時に
何とも言えない
経験したこともないくらい
打ちのめされていた


テレビや政府を信じる
一般群衆の圧力に
耐えられなかった


オヤジなら
そんな外野の圧力さえ
ぶっ飛ばせると信じていた


だが
俺にも止められなかった


なんも出来なくて
ゴメンな


でも
オヤジには俺がいるから
安心してくれ



俺が世の中から
居なくなる時なんて
きっと役場の職員が
片付けにきてハイ終わりなんだからさ


だから
オヤジが築いてきたもの
俺が生きてる限り
見届ける


なぜか
オヤジが亡くなってしまったこと

言えなかった


ようやく

今年中になんとか言えることが出来た


俺を育ててくれたこと

感謝しても
どんな言葉を言っても
伝えきれない


ただ一言
言えるならば

ありがとう直喜
俺の偉大なオヤジ