あの日、信号の故障で電車は大幅に遅れていた。


ラッシュアワーになる前に帰れるはずだったのにと、

会社帰りの人々で混み始めた車内に、私は気が気じゃなかった。


おまけに雨まで降り出して、

熱気と湿っぽさで不快指数はウナギ登り。


案の定、私の腕の中の息子が、暑さと眠さでぐずりだした。


狭い車内に、ヒィー、ヒィーと赤ん坊の泣き声が響く。


さぞお仕事で疲れた皆さんの神経を逆なでしているだろう。


そう思って、必死であやすけれど、

必死になればなるほど、息子は泣きやまない。



周りの視線が怖い。



空気が凍りつくのを全身で感じる。



こんな時間帯に赤ん坊を連れて電車に乗る私への無言の抗議。


自分の赤ん坊さえ泣きやませることのできないダメな母親への無言の非難。



いたたまれない。




身が縮む思いだ。



この場から逃げ出したい。



でも、この電車を降りてしまったら、

いつ次の電車が来るかわからない。


次の電車はもっと混んでいるだろう。


降りることもできない。


私の方こそ泣きだしたい。


うつむいてうつむいて、今にも私の目から涙があふれかかったそのとき、


ななめ前の方から声をかけられた。


その声の主は、・・・

その声の主は、ななめ前の年配のご婦人だった。




「赤ちゃん、眠いのかしらねぇ」




おっとりと優しいその声に顔を上げた。


「うるさくて、本当にごめんなさい」


謝る私に、そのご婦人はこう言われた。




「何を言ってるの。一番大変なのはあなたじゃないの。

子どもに泣かれると、お母さんが一番辛いのよね」




その瞬間、車内の空気が変わった。




私の緊張の糸もふっとゆるみ、あふれかかった涙が一度きに頬を伝った。


「みんな通ってきた道だもの。私もねぇ・・・・・・」。


ご婦人の育児体験を聞いてるうちに、

あんなにぐずっていた息子がすうっと眠ってしまった。



同時に、目を覚ましたらいけないからと、

数人もの方が、混んだ乗客をかき分けながら、席を譲ろうとしてくださった。



混んだ車内での優しいひと言、温かい乗客の方々の好意に助けられた私。



それだけでなく、困っている人を助けるということは、

相手の気持に寄り添うことから始まるのだ、ということを教えられた。



いつか大きくなった息子に話してやろう。


見知らぬ人たちが、私たち親子の心にそっと寄り添ってくれた日のことを。