クイッククエンチガムってありましたよね。
私の父方のいとこの△子ちゃん。
うちの実家は〇丁目でしたが、△子ちゃんちは隣の×丁目で 自宅でクリーニング屋さんを経営していた父のお兄さん家族でした。
子供たちは3人兄姉妹。
1番下の△子ちゃんでも私より8歳年上です。
父は8人兄姉弟の末っ子なので、父方のいとこでは私が1番歳が下なんです。
長崎県には顔も知らない親子ほど歳が離れたいとこもいます。
△子ちゃん、□子ちゃん、〇ゆき兄ぃちゃん(長男)、みんな優しくて好きないとこです。
近くてもそんなに頻繁に会うわけではなかったけど、お正月🎍🌅🎍はいつも△子ちゃんちに集まっていて、私が小学四年生くらいの頃は、△子ちゃんはお年玉🧧をくれていました。
□子ちゃんも〇ゆき兄ちゃんもみんなね。
でも、△子ちゃんの消息が今は訊けなくて。
訊いていいのかも分からない。
私が保育所に通っていた頃、時間外保育の時間帯に、△子ちゃんが姉とが一緒に迎えに来てくれたことがあります。
その時に
「これ、クイッククエンチガム🍋 いくちゃん、言える?クイッククエンチガム🍋」
って、クイッククエンチガム🍋を1枚くれて。
今は保育所は子供が子供を迎えに来るのは禁止されています。
今というか、もう、14年は前ですが、私がパートで保育所にいた頃は既にそうでした。
私は母が仕事で忙しくて姉が迎えに来る日が多いのが嫌でした。
姉も子供なんで意地悪することもあり、自転車の後ろに乗せてあげないと言われ、家まで走らされたこともあったので。
姉だって、友達と遊んでるのを中断して妹の保育所のお迎えなんて行きたくなかったと思います。
そういう状況で△子ちゃんが1回姉と一緒に保育所に来てくれたとき、大好きな△子ちゃんだから とても嬉しかったです。
△子ちゃんが中学生の頃です。
伯父さんは80歳過ぎまでクリーニング屋さんの自営のお仕事をされてました。
伯母さん(伯父さんの奥さん)は60代初め頃に末期ガンで亡くなりました。
2人でされてたクリーニング屋さんの仕事を伯父さん1人になり、その頃は△子ちゃん、引きこもりのような生活だったようです。
お料理はしたことが無いながらに、お母さんが亡くなって、お料理挑戦していたみたいだけど、次第に伯父さんがご飯を作るようになったみたい。
80歳過ぎて、仕事が続けられなくなった伯父さんは 無年金だったので他県の〇ゆき兄ちゃん夫婦の家に転居して、△子ちゃんはずっと引きこもりだったらしいので一緒に行ったと聞きました。
□子ちゃんは私の元実家の割と近くに旦那さんと今も住んでいて、父が亡くなった時、一日葬が終わってから連絡したんですが、お供えを持ってきてくださいました。
認知症の母は□子ちゃんのことは分からなくなっていましたが、すぐに母の認知症を察してくれてありがたかったです。
姉に聞いた話では、〇ゆき兄ちゃんの奥さんのInstagramの投稿が、電話番号の登録かなんかの設定で流れてきたとき、プロフィールには △子ちゃんの存在はなかったと。
娘さんに子供がいて、〇ゆき兄ちゃんは少年野球の監督をしてるみたいとは言っていたけど。
×丁目の家は何年も前に解体されてますし、一緒に〇ゆき兄ちゃんの家に行きやったよ、と認知症になる前の母から聞いたんです。
〇ゆき兄ちゃんの奥さんにしてみたら、嫌でしょう。
旦那さんの妹が40代で無職だから旦那が養うみたいなことなので。
私、同じような立場です。
職を常に転々として生きてきていますから。
クイッククエンチガム🍋、今また売ってるみたい。
SNSでさっき、売ってましたと書いている人がいたから。
クリーニング屋さんのレジでタバコ代の小銭をくすねると 伯父さんがボヤいていたと、母が。
親戚に娘のそういう話をするべきでは無い、と伯父さん帰った後に、ポツリと母は呟いていました。
仏さん(△子ちゃんのお母さん)のために、兄さん(伯父さん)は、△子ちゃんがどういう生き方でも受け入れると言っていたわ。
それでいいと思う、と母は言ってました。
他県の〇ゆき兄ちゃんの家に伯父さんと△子ちゃんが転居して間もなく、脳梗塞で伯父さんは倒れて寝たきりになり1年くらい入院ののち亡くなりましたが、△子ちゃんは今どうしているのか、私は知らないのです。
姉も分からないと。
いつかなにかの親戚関係の用事の時に聞ける日がくるのかもしれないけど。