自身の輝かしい数々の音楽活動の中でもDROP OUT PUNKSで動いていた時がかなり精力的であり、とんでもない景色を沢山見させてもらってきた。
その時使ってた愛機の話し。

DROP以前の様々な音楽活動の中でも自身が18歳の時に入手した1989年製、白色のGIBSONのサンダーバードを使用し永らく使ってきた。
「これがあれば他のベースは不要」と言い切れるほど相当気に入って使っており、出したいサウンドもドンズバだった事から申し分なかった。

街で絡まれた際も武器として活躍。それでもネックは折れなかった。
世の中まだ携帯電話も普及していない昔の話しだから今より街は自由だった頃。
良い時代の話し。

1番気に入ってた楽器で日本中を飛び回り、各地で自分という人間を伝えてきた相棒であり代名詞でもあったことから、私イコールサンダーバードとなったのも有難い事実。

そんな最中、
病になったのちDROP OUT PUNKS を去らざるを得なかった様々な心境も相まって、死ぬ覚悟で入院を始める前に価値ある相棒達は全て手放すことを決意した。

FENDERのベースは苦手なのだが、音を出せば「とんでもない楽器だ」ということに気付き、年代毎に音が違うのもそれが楽しく、しかしGIBSONとはまた別のところで自身の音というのも安易に作ることが出来たり、と驚きの連続を体感させられ、あまりの衝撃から当時は1960年から1967年製まで1年刻みで全てのJBとPBを所有していた。
FENDERベースの話しはいつかまたどこかで。


価値ある楽器というものは「今現在弾かせてもらっている私達の代で終わらせることなく未来に残していかなければいけない使命もある」と考えている。
FENDERしかりGIBSONしかり。


GIBSONも発表された歴代ベースの全てを所有していたが入院のタイミングで所有していた全ての楽器を手放すことにした。
1956年製と1958年製のEB-1、
1959年製LPjrタイプのEB-0、
1960年製のPUが黒プラ・SGシェイプのEB-0、
1963年と1964年製のEB-3、
トライアンフやRD、LPベース、1976年製の建国サンダーバード、他70年代のEB-3  etc...
さようなら。

サンダーバード馬鹿だった事もあり1964年や1965年製のリバースボディ1PUと2PUで計4本、1966年製の白ノンリバ(あの方のおさがり)、カスタムショップ製.1PUの白サンダーバード、これらを手放すのはかなり苦痛を伴ったが死ぬなら持っててもしょうがないと踏ん切りをつけ、さようなら。

今となると売価金額もとんでもないものとなっており早々に買える額ではなくなってしまったが、売却当時「全て合わせても購入してきた額以上の額」で買取をしてもらったので違和感があった。
沸々と業界内で相場が上がってきているのことには気付いていたがプラスになったならまぁいいや、と深く考えずその後は治療に専念することにした。


そんなこんなで私が愛用してたベース達は今皆どこに行ってしまっただろうか?と考えることはあります。


そして本題、長年常に愛用してきたサンダーバードだけは思い出の度合いが桁違いであり入院前の時点でも手放す気が起きず、この子なら棺桶に一緒に入れてもバチは当たらないかな、というのもあって手放すのをやめた事を思い出した次第。
昔から今、私の全てを知ってるのは残されたサンダーバード君のみ。


バンド活動を再始動したところだが今後この残ったサンダーバードはもう弾くことはないと考えている。

黄金時代はRAVEとDROPで終わり、
ベース弾くのも終わり、
自分も終わり、

生死というものを今までの人生の中でここまで深く考えた事がなかった中で「終わり」と決断した時が終わりだと答えを出した。

今も形はそこにあり、いつでも弾けて音が出せる状態ではあるが、「人生の終わり」を共に迎えた仲間として相棒サンダーバード君も「終わり」。

思い出はその時の気持ちと共に置いておくことにした。
楽器は弾いてナンボ、だけど、残ったサンダーバード君は一生分以上弾いてきた想いもあるし、数々の楽しい時間も共有できたし。

GIBSONには申し訳ないが、我が亡くなった際には共に燃やしていただく予定。


となると、ベースがありません。
ここから楽器バカ病が再スタートします。










さて、病で10年間ほど離れていた楽器の演奏を始めた次第。


死なずに済み まだ生きている。

大変ありがたい。


世の中の変わり様はもの凄く早く、10年も離れていると趣味1つとっても当時とはだいぶ環境が変化したと感じている。

思い起こせば、二度と弾くまい、弾かぬまい、と思うようになってから早10年。
「音楽って何ですか?」というまでに衰退していた。

当時に所有してた機材も手放し、残したのはGIBSONのサンダーバード1本とarmorのエフェクターケースとピーターソンのチューナーのみ。
それだけは手放さず残したが 今回の話しが進むまで残してた事を忘れていた程。
まさかまた弾く機会に恵まれようとはこれっぽっちも考えていなかった。

とある日、突然思い出し、当時のギタリストに15年振りに連絡。彼も病からバンドを去りまともにギターを弾ける状態ではない。
老後の楽しみではないが弾ける方法があるならまたやろう、と声を掛けたところ快諾頂く。
状況は自身も同じ、弾いてない期間もほぼ同じ、弾けなくても音を出す楽しみは経験してきているのでなんとかなるであろう。

病は考え方まで変えてしまい、他の趣味に没頭するわけでも無く、物事への関心も激減した中で 再び自身の人生で3本の指に入るトップクラスの趣味の1つを取り戻す事が出来そうだ。

そんなこんなで始まります