しましまの夫の追憶

しましまの夫の追憶

2017年10月25日、乳がんで妻(しましま)を喪った夫が
気持ちを吐きだす先として始めたブログです。

Amebaでブログを始めよう!

Twitterの方が短い文章や写真で気軽に上げられるのもあって

アメブロ放置状態になってました。

でも月命日は特別な日だからっていうのもあって、今頃なん

だけど、ちょっと去年の暮れの出来事を振り返り。

お嫁ちゃんの父方の兄弟は7人おられました。
で、お父さんと9歳離れているお姉さん、7人の中では唯一の

女性が舞鶴に住んでおられます。昭和6年生まれの90歳。

しかも母と同じ名前で、自分の名前の説明(天智天皇がその

果実を食べた時に言ったとされる「むべなるかな」)まで

まったく同じ。

 

その伯母さんの旦那さんが、去年12月初めに亡くなられて。
お嫁ちゃんのお母さんから、お父さんとふたりを舞鶴の

伯母さんのところまで連れて行って欲しいとお願いがあり、

12/11(土)に行ってきました。

丹後方面は、お嫁ちゃんのお父さんの実家が与謝野町金屋に

あり、そちら方面へふたりで行くと、必ず寄らせてもらって

いました。

実家を継いだのはお父さんのお兄さんで、お嫁ちゃんのがん

の遠隔転移が発覚した2012年に既に亡くなられており、今は

その奥さん(このひともまた伯母さんになる、ややこしい)が

ひとりで家を守っておられます。

まずは舞鶴市神崎の伯母さんの家に弔問に行き、翌日のお通夜、
翌々日のお葬式にお父さんとお母さんが出席するため泊めさせて
もらう話をつけられた与謝野町金屋の実家に向かうことに。

懐かしい道。

そもそも丹後方面に来たのはお嫁ちゃんと来た2015年が最後

だから、もう6年ぶり。

この近く(宮津市由良)にはお父さんの実家のお墓があって、
お嫁ちゃんと何度かお参りしたこともあるので場所を覚えてて、
「実家のお墓、このあたりですよね?」と言って、お嫁ちゃん
と何度かお参りに来たことを車中のふたりに話すのも、何か

こう感慨深いものがありました。

お嫁ちゃん、絶対一緒に乗ってたよね。

金屋の伯母ちゃんのお家の駐車場。懐かしいね。


結局、その日のうちには帰れず、泊っていって!ということで
お泊りさせてもらいました。



翌日、帰りの京都縦貫道の道の駅に寄って、お嫁ちゃんと寄った
時には見なかった景色を見てみました。

建物奥の広場。「京丹波プラザ」って名前がついてた。


広場横の駐車場から建物側を振り返ってみた。なだらかな山が

見えて、何となく穏やかな気持ちに。

もう一度、来ることがあるかな?

それはわからないけど、忘れないでねって気持ちは伝わったよ。

うん、もちろん忘れないよ。