今使用している高校の教科書に尼ケ﨑彬氏の評論が載っている。
次の歌の違いについて書かれているのだが、初見でお分かりになるだろうか。
【定家の歌】
見渡せば 花も紅葉も なかりけり
浦の苫屋の 秋の夕暮れ
【家隆の歌】
花をのみ 待つらん人に 山里の
雪間の草の 春を見せばや
茶の秘伝書『南方録』によると、上二つの歌は下記のように示されたものだと言うのである。
【定家の歌】
武野紹鴎(千利休の師)が、侘茶の心を表すものとして
示す
【家隆の歌】
千利休が、侘茶の心を表すものとして【定家の歌】に
追加して示す
まさに、継承と革新である。
二つの歌の共通点は、表に見える侘しい世界と裏に想像される華麗な世界という二重構造を持つ点だと尼ケ﨑氏は言う。
では、違いは何かというと、【家隆の歌】には、「春」を予感させる「雪間の草」があるのだが、【定家の歌】には「花」「紅葉」を想像させるものが何もないのである。
弟子である千利休は、裏に想像される華麗な世界を「ほのめかす」必要性を、師の教えに追加したかったようである。
主題は「いき」であるのだが、長くなるので割愛する。
芸術(美)を極めるには、古典から学び、自然から学ばなければならないということが伝わってくるかのような評論である。