今使用している高校の教科書に尼ケ﨑彬氏の評論が載っている。

 

次の歌の違いについて書かれているのだが、初見でお分かりになるだろうか。

 

 

 

【定家の歌】

 見渡せば 花も紅葉も なかりけり

 浦の苫屋の 秋の夕暮れ

 

【家隆の歌】

 花をのみ 待つらん人に 山里の

 雪間の草の 春を見せばや

 

 

 

茶の秘伝書『南方録』によると、上二つの歌は下記のように示されたものだと言うのである。

 

【定家の歌】

 武野紹鴎(千利休の師)が、侘茶の心を表すものとして

 示す

【家隆の歌】

 千利休が、侘茶の心を表すものとして【定家の歌】に

 追加して示す

 

まさに、継承と革新である。

 

 

 

二つの歌の共通点は、表に見える侘しい世界と裏に想像される華麗な世界という二重構造を持つ点だと尼ケ﨑氏は言う。

 

では、違いは何かというと、【家隆の歌】には、「春」を予感させる「雪間の草」があるのだが、【定家の歌】には「花」「紅葉」を想像させるものが何もないのである。

 

弟子である千利休は、裏に想像される華麗な世界を「ほのめかす」必要性を、師の教えに追加したかったようである。

 

主題は「いき」であるのだが、長くなるので割愛する。

 

 

 

芸術(美)を極めるには、古典から学び、自然から学ばなければならないということが伝わってくるかのような評論である。

第1章 総説

第2節 共通教科情報科改訂の趣旨及び要点

2 共通教科情報科改訂の要点

(2)共通教科情報科の具体的な改善事項

ア 教育課程の示し方の改善

 共通教科情報科の学習は、社会、産業、生活、自然等の種々の事象の中から問題を発見し、プログラムを作成・実行したりシミュレーションを実行したりするなど、情報技術を活用して問題の解決に向けた探究を行うという過程を通して展開される。(中央教育審議会答申別添資料 別添 14-3)

 共通教科情報科においては、学習過程は上で述べたように多様なものが考えられるが、資質・能力を明確に示すことによって、具体的にどのような指導を行えばよいのかがイメージしやすくなるものと考えられることから、それぞれの教育内容を更に資質・能力の整理に沿って示していく。

第10節 情報

第2款 各科目

第1 情報Ⅰ

2 内容

(3)コンピュータとプログラミング

 コンピュータで情報が処理される仕組みに着目し、プログラミングやシミュレーションによって問題を発見・解決する活動を通して、次の事項を身に付けることができるよう指導する。

ア 次のような知識及び技能を身に付けること。

(ウ)社会や自然などにおける事象をモデル化する方法,シミュレーションを通してモデルを評価し改善する方法について理解すること。

昔の植生を推定する手法として古典文献の解析という手法がある。

 

例えば、万葉集には、藻類、菌類も含めて約160種の植物が植物の生育立地や共存種と共に約1600首も詠まれており、奈良時代の植生を推定するのに非常に有効な資料と考えられている。

 

その理由は、万葉集に詠まれる歌の中の、「種」と「種」、「種」と「地形」の絶妙な組み合わせにある。

 

山上憶良の詠んだ歌に出てくる「秋の七草」などは、まさにススキ草原の構成種であり、万葉集の自然描写の精度が高いこと示すものとして考えられている。

 

他にも、セリ・イヌビエ・コナギと「田」 、ハギ属・ススキ・チガヤ・ハンノキなどと「野」 、ヨシと「河口」 、アカメガシワと「河原」 、ノイバラ・シバと「道」などの組み合わせについても、実在する「種」と「地形」の組み合わせであり、万葉集の自然描写の精度の高さがうかがえる。

 

このような、万葉集×植生学(万葉植生学)については、兵庫県立大学名誉教授の服部保先生の文献が参考になる。

 

昨今、文理融合教育が叫ばれているが、この万葉植生学はまさに文理融合型の学問。

 

総合的な探求の時間などで、地域の植生を古典の文献(地域の和歌)を調べて、年代ごとにまとめてみるのも面白いのではなかろうか。

本で見かけた古漢融合の単元計画をご紹介します。

 

〈単元名〉四季折々の和歌と漢詩を読み比べてみよう

 

〈指導目標〉

①和歌と漢詩に対する学習の興味・関心や問題意識を喚起する。

②四季折々の和歌と漢詩に詠まれている情景を把握し、それぞれの自然観・美意識を理解する。

③日中の自然観・美意識を比較し、その共通点と相違点を考察する。

④古くから中国文化の影響を強く受けつつも、独自の文化を生み出してきた日本の自然観・美意識について確認する。

⑤この単元で学んだことを今日的な出来事に生かし、いまに息づく伝統的な言語文化について自らの考えを広げ深める。

 

<対象学年>高校二年生

 

<単元計画>(三時間配当)

第1時

①日本の名画「松林図」と京都の竜安寺の石庭(写真)に見られる日本の美意識について話し合う。

②春夏秋冬の和歌の内容を理解し、それぞれの情景と余韻を味わう。

③和歌から見られる日本の自然観・美意識について話し合い、発表する。

第2時

①中国山水画の代表作「早春図」(郭煕)を鑑賞し、中国の美意識について話し合う。

②春夏秋冬の漢詩の内容を理解し、それぞれの情景と余韻を味わう。

③漢詩から見られる中国の自然観・美意識について話し合い、発表する。

第3時

①和歌と漢詩における日中の自然観・美意識を比較し、その共通点と相違点について考察する。

②「風景/けしき」の意味や「空気をよむ/行間をよむ/風をよむ」の由来について考える。

③春の花見や夏の花火などの風物詩を通じて、日本独自の美意識について再認識する。

④単元を総括し、いまに息づく伝統的な言語文化の源流について確認し、今後の課題を示す。

 

引用:『高校古典における古文・漢文の融合的な学びを考える(p28-29)』早稲田大学教育総合研究所 学文社

 

 古漢の春夏秋冬の作品としてそれぞれ何を選ぶかに授業者の自然観を繁栄させることができる部分が、アレンジ性があり面白いと思います。また、看図アプローチとしても、日中(「松林図」と「早春図」)を比較させるという発想が参考になりました。何と何を比較させるかを選定するのが、また、密かな愉しみとなりそうです。

暗唱は、その教育的効果として、言語感覚を養い、表現との結びつきを体得することができると言われている。

 

暗唱指導で、環境教育として子どもたちの豊かな自然観を養うためには、教材として、詩、俳句、短歌、古文、漢文などの中から、自然が豊かで美しく表現された作品を選ぶとよい。

 

1 春はあけぼの。…

  夏は夜。…

  秋は夕暮れ。…

  冬はつとめて。…

 

2 春水満四澤(しゅんすいしたくにみち)、

  夏雲奇峰多(かうんきほうおおし)。
  秋月揚明輝(しゅうげつめいきをあげ)、

  冬嶺秀孤松(とうれいこしょうひいず)。

 

例えば、定番である清少納言(1)をきっかけに、似た構成である陶淵明(2)を引っ張り出してきて、両者を暗唱させることで、子どもたちの心の中に、先哲二者の美しい言葉を持つことになり、その言葉の持ち味が心の中で時間をかけて染み出し、本人の持つ自然観と相まって、新たな自然観が醸成されていくことが考えられる。

 

難しいことは考えず、声を出しながら、美しい言葉とそのリズムを味わい、心の中に美しい言葉を持つ。

 

子どもたちには、吟遊詩人のように牧歌的に活動させたいものである。

問 竹取物語に出てくる竹は真竹であると考えられている。それを裏付けるものは何か。

 

・「よろづのこと」に使える竹

・「三寸ばかりなる人」が入るだけの節間の長さがある。

・平安時代初期の植生

 

以上の点がその答えとなり得るであろう。以前、『環境と植生30講』(服部保)という本の、万葉集の植生研究について書かれた部分を読み、古典と植生という文理融合の一つの形と出会い、視点が広がった経験がある。授業でそこに時間をとって丁寧に扱うことは難しいかもしれないが、古典と植生という視点は、古典の読み方として、深い読みを実現させ得るものの一つであると思っている。

 

 

問 「おはする」「給ふ」と敬語があるが、「三寸ばかりなる人」になぜ敬語が使われていると考えられるか。

 

もちろん、「もと光る竹」の「筒の中」に「三寸ばかりなる人」がいるという、不可解な自然現象に対して神秘性を感じているからであろう。さらに、作者が、人というものは理解できない自然現象に出会うと神秘性を感じ敬語を使ってしまうということを客観的に理解していることも読み取ることができる。そして、自然の申し子である「三寸ばかりなる人」をかわいがって育てることで、「やうやう豊かになりゆく」という展開は、まさに、自然信仰による恩恵を描いたものである。授業では、このような作者が持つ自然観に触れさせたい。

梅、桜、藤、橘、梨、桐、楝
 
清少納言による木の花に対する批評が書かれた段。
 
梨と桐については、中国の自然観を引き合いに出し、清少納言自らの自然観を述べる。
 
ここは是非とも読み深めていきたいところ。
 
また、多くの生徒が読めないのが楝。
 
いざ、読めても、聞いたことが無いという木である。
 
ちなみに、「おうち」と読み、今でいうセンダンの木である。
 
センダンの木と言われても、どんな花が咲くか分からないという生徒は多い。
 
ここで、国語便覧の植物の頁を開かせて、植物談義をするのもよい。

「山の手線の電車に跳ね飛ばされてけがをした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出かけた。」と、冒頭文。

 

『城の崎にて』は、城崎温泉での養生中に様々な生き物と出会う話。

 

登場する生き物は、蜂、鼠、桑の葉、いもり。
 
 蜂…毎日忙しそうに働いていたが、ある朝、静かに死ぬ。
 
 鼠…子供や車夫に魚串を刺されたまま川に投げ込まれ、全力を尽くして逃げ回るも、その後の生死は確認されず。
 
 桑の葉…風のないときにはヒラヒラヒラヒラせわしく動くが、風が吹くと動かなくなる。
 
 いもり…何気なく投げた石に当たって死ぬ。
 
これらの生き物との出会いから、「生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした」という心情へと到達。
 
 
国語総合で今までに定番教材並みに多く扱ったことのある教材。生き物の命がテーマであり、環境教育に適した教材。

第2章 学校教育における環境教育

 第4節 各教科における環境教育の指導

  5 その他の教科

   (1) 国語科

     国語科の目標は,「国語を正確に理解し適切に表現する能力を高めるとともに,思考力や想像力を養い言語感覚を豊かにし,国語に対する認識を深め国語を尊重する態度を育てる。」(中学校),「国語を的確に理解し適切に表現する能力を身に付けさせるとともに,思考力を伸ばし心情を豊かにし,言語感覚を磨き,言語文化に対する関心を深め,国語を尊重してその向上を図る態度を育てる。」(高等学校)である。これらはいずれも,理解力,表現力,あるいは判断力,思考力等の育成にかかわるものであり,環境教育の指導を通して身に付けたい能力と態度の中のコミュニケーション能力や主体的思考に通じるものである。

    また,学習指導要領では,特に理解の面において,人間,社会,自然などについて考えを深めるということが掲げられており,そのことは教材選定の観点としても強調されている。したがって,自然への関心を高める,または自然と人間との関係についての思考を深めるなど,環境教育の視点を踏まえた教材を選定し,指導を行うことが十分可能であろう。