教科書が好きだ。体系的な学習が好きだ。

しかし、ダンスは言葉にならないことが多い。

同じ言葉を実践しても人によって全く違う。


それでも、いくつかの概念は整理され、教科書になっている。

しかし、それは数学などの教科書と比べると、体系的とは言えない。

ほとんどの教科書は基礎を会得済のダンサーが、複雑な組み合わせを踊るための教科書である。


結局、初心者が基礎を会得するにはプロに習うのが良いとなってしまう。

しかも、そのプロも分かりやすく教えれる人は少ない。


体の感覚に関する話は、生まれた時からずっと姿勢が良い人は、姿勢が悪い人にかける言葉が分からない。プロとして何百と教えていく中で、伝わりやすかった言葉が後で少しずつ積もっていく。

その何百回が、すでに色んな人が経験し終わったはずで、もったいないのである。


そう考えると、プロがダンスの感覚が分からない人に伝わりやすい言葉の集積の教科書が必要と感じる。

基礎も教科書で伝えられればいいのだが、数学にしたって、基礎は教師が根気強く教えるものだ。

中学生以降は数学教師はなくても、綺麗に教科書に書いてあるから読めば良い。


ダンスはそうはなってない。

そもそも、どれが基礎でどれが応用かの区分けすら人による。

体系的ではないのだ。


まずもって、ダンスという概念時代あいまいだ。

音楽に乗って体を動かす?

であれば、吹奏楽団はダンサーか、無音ダンスはダンスでないのか、コンテンポラリー即興はダンスといえるのか。

色々屁理屈のつけようがある。


ダンスの目的も様々ある。

美しい感動させるようなダンスを目指したり、

パーティーで友達と楽しむためのダンスもあり、

暗黒舞踏のような醜さを目指すダンスもある。


全てを覆うことはできない。

でも、なるべく広く覆いたい。

私的には社交ダンスだけよりは、サルサやリンディも含めたい。

それを、今ソーシャルダンスと私は呼んでいる。

ソーシャルダンスの教科書を誰か作ってくれないかなあと無責任に思っている。