真夜中幻想第五夜・掟破りの快楽
とかく快楽は、非日常的なところだけでなく、非倫理的・反社会的なところに生まれ落ちやすい。
ぶっちゃけ、「掟破り」という行為自体が快楽を快楽たらしめているのだろう。
小さいところだと、
「昼間から(クルマ外出なのに)ビールを飲んでみる」とか
「夜中十分寝たのにj昼間も寝てみる」とか
もうちょっと大きいところだと
「80km制限の道で100kmぐらいで流れているところをアクセルべた踏みで160km」
とか。
(ここまでは大きな声ではいえないが経験済み)
これ以上のレベルとなるとマジ大きな法令違反とか訴訟ざたレベルになって
しまうから小市民的には手がだせませんが。
(テリー伊藤みたいにTVの企画で常磐道で芸能人スポーツカー集結させて
300km/hオーバーの公道レースをやろうとした とか)
でもそこまでいくと超おもしろい、あるいは超快楽的なんだろうな、とひそかに憧れたりする。
そういや、いっとき日経で「愛の流刑地」が掲載されていた時に、オヤジの中でかなりのブームに
なったのも、「手がだせない(出しているひともいるだろうが)非倫理的快楽」の疑似体験だから
なんでしょうか。いや、もっと単純に「徹底的にエロい」からかもしれませんが。
真夜中幻想第四夜・賽の河原の石積みの勇気
とかく仕事(だけではないが)を進めようとすると、必ずというわけではないが、どうにもこうにもパッチワーク的措置では限界がある時が訪れる時がある。
ある人はそれでもひたすらパッチワークでしのごうと努力する。
ある人は、部分的手術で当初方針を延命させようと努力する。
しかし、最悪の事態-全体が破綻している-にも関わらず、その事実に対して目をそむける人のなんと多いことか。
せっかく積み上げた石に対する愛着があるのか、あるいは自らの努力を無に帰す勇気がないのか。
賽の河原で幾度も石を積み上げる子供こそが最も勇気ある者なのかもしれない。
真夜中幻想第三夜・酩酊と狂気の狭間で。
今はまだ真夜中ではないが、明日の朝がはやいので、少し早めの琥珀色の液体とともに。
精神世界はとかく奥が深い。次々に扉が現れて出口の見えないラビリンスのようだ。
特に今はダイダロスの翼を必要としないので、夜ごとラビリンスを徘徊するのが、もはや日常と化している。
このラビリンスの中にいると、ある一瞬には世の諸事情が虚構に過ぎないことが全て見通せるかと思えば 、次の一瞬には再び五里霧中の中をさまよい歩くことになる。
この「全てを一瞬で見通せる瞬間」が訪れるのは、圧倒的に酩酊している時が多い。正気の状態から狂気の状態へ転移できるこの扉の鍵なくしては、もはや現世(うつしよ)を生きている価値すらないとすら思える。
他人と共有できなくとも、理解されずとも、唯独り禁断の扉の鍵を手にしているだけで、そこに私の生は存在する。
どこまでも非倫理的で、反社会的で、タブーをおそれず禁断と快楽をむさぼり喰らい、そのままで理解できない愛すべき他者に対しては、自らを変容させることで相手を愛する「エロス」の働きに従順に盲目的に従う。今しばらくはその流れに身をまかせることにしよう・・・。
真夜中幻想第二夜・同時多発的直感
普段何げに生活しているときにはあまり脳がはたらかないのだが、自らの身に(物理的にだけではなく)危機が訪れると、頭脳の働きが通常の十倍以上の回転数をみせる時を感じる。
言葉で考えるのではなく、様々なイメージ(画像であったり映像であったり)が、まるでPCのデスクトップ上に次々にウインドウが開くかのごとく、一気に十数枚のトピック・イメージが拡がる。
理性(言葉)で考えを積み重ねるように紡ぐのではなく、先に直感が複数回答を同時多発的・多角的に脳内で見せてくれるというほうが、おそらく正しい表現になろうかと思う。
それがゆえに、自分の中では把握できても、人に説明するにはあまりに難儀する。
テストでいえば、言葉を積み重ねることによる思考は、たとい正解にたどりついてなくても答案用紙に解答過程が残っているため、共通理解を得やすい。しかし、直感によって紡ぎ出された解答は、まるで解答のみが先にかかれている答案のため、いくらそれが正解であろうともそのままでは理解を得られない。
なまじ直感なぞない人間のほうが、ビジネスの世界では、かえって共通理解を得られやすいのかもしれない。少なくともステップをふんで枠組みにあてはまりやすいであろうから、失敗は少ないのだろう。
だからといって、この直感を捨てるにはあまりにおしい。人が見えない先、複数要因jが複雑にからみあった諸問題に対して、正しくdirectionを与えれば、はるかに速い速度でゴールを見つけてくれるこの特性は、言葉をもって代え難い。
直感を磨き、それに立脚した能力を発揮することが、永遠の部外者として社に居続ける唯一の意義であろうし、それを望まれないのであれば、この組織には変革の意志はないのであろう。
真夜中幻想 あるいは魂の美しさ、深さ・・・刃
真夜中になると、心の底から、日常の雑事で忘れていた「価値」が琥珀色の液体といっしょに
浮かび上がってくる。
フェラーリ博物館でみた、フェラーリ・エンツォ。車重1.2t(私のロードスターRSと同じだ)にも
関わらず、漆黒の凶悪かつ戦闘的なボディデザイン、590ps、最高速350km/h。0km/h→100km/h加速4.3秒。美しきものには血の臭いがするというが、ただ限界性能を求めるその姿の集大成は、戦闘機とも相通じるものがある。
戦争技術の進歩とともに、戦闘機・自動車・時計などの精密機器も進歩してきたのが人類の歴史ではあるが、最近の兵器あるいは精密機器や自動車にしても、やや脱力・・・というか、血の臭いが薄くなってきている。世が平和になったのか、あるいは人間自身が滅菌化されたのか。パッケージドマン?
魂の美しさ。それは仏教の8つの煩悩を十全に調和させた状態をそう呼んでもよいのかもしれないが、そこには俗世的人間からの離脱があるばかりで、人を惹きつけてやまない魂の美しさとは少し違うかもしれない。
人間的でいながら、すべからく魂に美しさ・・・深さを持つ人間には、どこか「刃」が潜んでいる。たとい日常ひょうひょうと仕事する1仕事人であっても、ある場面にはその眼光に刃の鈍色があらわれ、見る者を魅了し、畏れさせる。
ギラギラ光る若さまかせの刃の光ではなく、時間と人生経験と少しの狂気が生み出す鈍色。
そして真夜中と夢の中。私の頸は鈍色の鎖に締め付けられ、苦痛と歓喜に狂わされる。
近視眼的視点の悲しさ と 真のリーダーシップとは・・・
どうやら部の体制が変わるらしい。自分のポジションがどの位置におかれるかはひとまずおいておくとしても、こうも2~3年で人材育成・業務分担がコロコロかわることは、よほどうまくいかなくて模索しているか、あるいは対外的なポーズ(あるいはシステム)さえカタチになれば何か仕事になるとよほどトップが勘違いしているせいか。
本部と現場がリンクしてグッドスパイラルを生むという姿勢が、少なくともうちの本部からは感じられない。おそらく現場側はなにも気にしていないだろう(また本部が勝手に体制かえてるよ)し、今後長期的にこの体制を定着させるにも、人材教育上問題がかなりあるように感じられる。開発案件Gと施設管理Gにメンツをわけるとしても、それは新規案件の場合は問題ないが、既存案件や運営ホテルへの出張・アドバイスとなったときにどういう体制を組むのか。前体制の時のように、基本スキル(開発・施設管理)を持った上で、どちらかのGに所属するというのであれば、多少は理解できるが、現時点でどちらのスキルも未熟者(もちろん私も含まれる)を強引にふりわけるというやり方では、もっとも被害を被るのは現場だ。
ここで問題になるのが、部の体制をコロコロ近視眼的にかえるその姿勢だ。もう少し、メンバースキルがあがってから(数年間現体制で運営してから)、新体制(開発Gと施設管理Gへのdivide)に移行していくのであれば、今後のホテル数増加(予測)にも対応しうるだろうが、現時点で強引に前倒しするのは、正直対外的なアドバルーン以上の意義を見いだせない。必然性もなく、仕事哲学的なものも感じられない。ただ、短期間で強引に結果・成果のrequirementに対して、目くらまし同然でごまかしているだけだ。
もしこれで上層部がだまされるのであれば、所詮その程度の会社に過ぎないのだろう。
その場合、自分が長居することには遠からず意義を失って新天地をもとめることになるだろう。
トップはこれで自分のリーダーシップを発揮して部の改革をはかっているつもりだろうが、必然性もなくただ牛馬のごとく強引にひっぱられて働かされるメンバーに対しては、実はリーダーシップの失墜になっている(あるいはもとよりそんなものないような気もするが)。
リーダーシップは、カリスマ的存在が先天的に有するか、あるいは、だまって働き地道に信頼を勝ちえこつこつ成果を積み上げていく人間に神が与え賜う資質と考える。
王者のマントは地位があるから纏えるものではなく、王にふさわしき者が自然に身にまとう雰囲気そのものがマントとなるのであろう。
ネコ草
家のベンジャミン(2日前購入)が、ネコによってボロボロにされつつあるので、見かねてネコ草を購入。
家かえってくると、ベンジャミン無視!ネコ草上等!という感じでひたすら食いまくる2匹。
おまえたち、なんで草1つでそこまで幸せになれるかな・・・。しかも草のまわりで昼寝してるし。![]()
ひとまずベンジャミン(観葉植物)が食用植物に降格せずにすんで一安心。
ベンジャミン980円(これも安いけど)。ネコ草298円。約700円の被害を未然にふせぐことができました。
さて、夕方の用事までひとやすみです。
病院前
ワールドカップのおかげで、すっかりよいっぱりになってしまって、最近朝おきるのがつらい今日このごろです。(前は23時寝の7時おきを実践していたのですが)
今日は病院の日。クルマをつかって、ついでアキハとメガスーパーでもまわってきます。(アキハはコンタクトレンズの在庫が少なくなってきたので)ついでにニンテンドーDSでもあれば即買いしてきますが。
ニンテンドーDSどこでも手にはいらなかったけど、どうやら今月か来月から増産するらしい。っていうか今頃かい、という感じもしますが。脳ドリルのブームはすでに過ぎ去り、今はニューマリオがブームらしいです。
(昔はやりましたね)なぜかこの手の情報、はるか西のほうから電話でつとつと連絡が入ります。
日本代表らしいというか・・・
クロアチア相手にスコアレスドロー。前のワールドカップで負けたことを思えば、進歩といやあ進歩なんだろうけど、あのFW(特にやな○さわ)のふがいなさというか決定力のなさというかが、あいかわらずという感じ。ゴール前3mでドフリーでもらってなんではずすかな。川口のカーン化(守護神化)には参りましたけどね。(鬼のPKどめ。こういうときに必ずなにかやってくれる)
次回ブラジル戦、今度こそ勝たないと予選リーグ突破はなし。どうするよ?といういってもどうにもならないんだけど。
ところで今日は一眠りしたあと(朝まで)、病院の定期診察日。いままで3種類のんでいた薬(うち2種類は抗精神薬と抗うつ薬)が先週1週間の自分の体調とのバトルでめでたくぬけたので、あと1種類。とかいってまた別の種類ふやされたらがっくしだけど。せっかく薬が1種類まで減って体調がよいのでこのままkeepしていきたいところです。しかし医者はいまのところ「統合失調症」の診断をしているので、エビリファイ(新薬)あたりをまたすすめてくるかもなあ。とりあえず安定しているから、がんとして断ってみようかとも思ってます。
とりあえず薬少ないほうが安心しておいしいワインのめるので。
薬が多いと、気晴らしワインもろくに飲めやしない。休職中にスパークリングワインのエキスパートめざして修行中です。といってもまだ20種類ぐらいしか飲んでないか・・・。
rainy day Sunday always get me down
せっかくの休日なのに、雨だとわがロードスターもオープンで出かける先を失ってしまう。
こういうときは、近所のディーラーでもいって洗車(先週ボンネットに油がついてしまった」)でもするか。
それとも無理にどこかへでかけるか。
体調のほうはようやく本調子に。来週あたりは遠出もできそう。今週は友人宅程度の距離かな?