遺産相続で、家族が静かに壊れていった話
はじめまして。
このブログを書くかどうか、正直かなり迷いました。
相続というのは、
財産を分けるための手続きだと思っていました。
少なくとも、始まる前までは。
実際に起きたのは、
長年、家族の中で曖昧にされてきたことが
一気に表に出てくる時間でした。
説明されない話。
食い違う記憶。
確認できない前提。
誰かが声を荒らげるわけでもなく、
表面上は穏やかなまま、
話だけが少しずつ噛み合わなくなっていきました。
「そんな話は聞いたことがない」
そう伝えても、
「もう前から決まっている話だ」
と言われる。
いつの間にか、
私は“説明を求める側”になり、
その立場自体が不自然なもののように扱われるようになっていました。
振り返ると、
相続が始まるずっと前から、
家族の中には違和感があったのだと思います。
語られない過去。
価値観のずれ。
何となく避けられてきた話題。
それらが、
相続という現実的な出来事をきっかけに、
一つずつ形を持って現れてきました。
このブログでは、
裁判の詳細や、誰かを断罪することを書くつもりはありません。
ただ、
私自身が見聞きしたこと、
そのとき何を感じたのかを、
記録として残していこうと思います。
同じように、
「なぜ話が通じないのか分からない」
「家族なのに、言葉が届かない」
そう感じている方がいたら、
何か共有できるものがあるかもしれません。
ゆっくり、少しずつ書いていきます。
前代未聞の異常な相続裁判に調停から移行していく状況を簡単に説明します。
管理人は長年アメリカ在住であった。
当初父母(父90代、母80代 大阪北摂在住)が管理人(在米)に帰国して同居して欲しいとの要請で
2022年秋に帰国して同居を始める。
淀川区兄S(60代前半)
遺産相続の話しに戻ります。
相続財産全体は、母親の資産は
不動産や預貯金などを含め、
総額で1億円を大きく超える規模でした。
そのうえで父は、
兄Sには、不動産を中心に数千万円相当
私には、不動産の一部と預貯金を中心に同程度の規模
という形で分ける考えだと説明しました。
この分け方の理由として、
父は「兄Sはすでに事業用の資産を引き継いでいる」
という点を挙げていました。
金額だけを見れば、
極端に偏った配分ではないようにも見えます。
しかし問題は、
この前提や考え方が、
家族の間で共有されていなかったことでした。
兄はこの分割案に強く反発し、
「自分の取り分が少ない」と主張しました。
一方で私は、
なぜそういう計算になるのか、
どの時点で誰が何を決めたのか、
十分な説明を受けたとは感じられませんでした。
こうして、
金額の問題というよりも、
前提と認識のズレが、
話し合いを前に進められなくしていきました。
兄Sは、父母から町工場を譲渡された。M&Aで営業権が数千万と評価されていた資産です。
遺産会議で兄が、自分に取り分が少ないと
この分割提案を拒否。
2023年6月に再度分割協議をするが、この遺産協議に兄Sの嫁が乱入し会議が終了。
致しかたなく、父Tが調停裁判に委ねることを決断する。弁護士探しを始めるが、管理人同級生が
弁護士なので依頼することに。ただ父親Tと
管理人の2名だと依頼金額が2倍になるので管理人の
名前で依頼することになる。
そして前代未聞の相続裁判がスタートしたのである。
父親の兄側への寝返り
普通なら父親 管理人 VS 兄S の
はずであった。
しかし実際は父 兄S VS 管理人と。
なんと父が相手側に寝返ったのである。
2023年8月末に管理人との2人生活でストレスになって怒って兄の元に。この理由は父親Tが
脚が悪く歩けない、手が痺れて掴めない、薬の飲み忘れが激しいと要介護3の認定を受けていたのであるが、私には、父の説明と実際の様子が
一致していないように感じられた。実際は
まったく支援の必要でない状況であったのである。
この件を父親Tに注意して、出来る事は自分でやるように言ったのが怒りに火がついた模様。
突然出かけるとメモを残して家出、夜になっても
帰宅しないので警察に捜索願いを提出。
翌日兄Sの元に、自分でタクシーに乗って
豊中市にある父親実兄の元に行き、それから
兄S家に行ったのである。もはや要介護3の
面影なし。