ゴミ箱

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たのしいふろくがいっぱい(笑)!いっぱい(笑)!
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ふたごひめのひみつがぎっしり(棒)!
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マジレンジャートラベリオン的あてゲーム(アーカエリテェ)
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えがかわる!(アーダリィ)どこでもはれる!
にんきもの、ちぇんじんぐメダル(笑)
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しょう(笑)!がく(爆笑)!かん(核爆)!
「私は命についてよく考えていた」
「何のために人は生きるのか……」
「中二病真っ盛りの人間は、しばしば『人間は死ぬために生きている』などと言う。それは因果関係としては正しい。人間は必ず死ぬのだから」
「だが正確に言えば違う。人間が『死ぬために生きる』のなら、全員即座に自殺するはずだ。何も……動かない。『死ぬために生きている』というのは、短絡的で厭世的な皮肉にすぎない」
「正確に表現するならばこうではないか?人間は、『死を恐れ、死なないようにあらん限りの努力をし、全力で生き、その最終地点として死ぬ』ために生きている」
「つまり漫然と生きるだけでは生きたことにならない。死なないように一生懸命努力して……はじめて『生きた』と評価される」
「私たちはそういう前提のもとに生きているから。価値観がそのように作られている。自殺はダメ。懸命に生きようとする姿は美しいし、安易に死のうとする姿は醜い。命を大切にする人間は称賛され、命を粗末に扱う人間は批判される……」
「私はさらに思考を進めてみた。なぜ、人間はそのような価値観を持って、生きなくてはならなかったのか?」
「現象には必然たる原因がある。つまり、人間が死を恐れて生きることは。死を恐れないで生きることに比べて『都合が良い』ということだ」
「もちろん『都合が良い』と言っても誰かに利があるとかいう話ではない。それは、世界の法則にとって『数学的に最適』であるということを意味する」
「人が死を恐れて生きることで生み出されているものに、気付いているか?」
「それは時間だ。存在の関数化と言い換えてもいい」
「時間とは、そもそも何か?変化比較によって計測される量だ。例えば、何も変化しない一定の空間があるとして、そこでは時間が経過しない。何か……物体の移動や反応といった変化があって初めて、時間が流れる。相対性理論は知っているか?認識の定義は?いや、知らなくてもいい。知っていれば理解が早いと思っただけだ」
「要するに、観測が不可能な存在は、存在しないに等しいのだ。だから時間を観測できない所では時間が存在しない。ここまでは基礎知識。では、これを生命に当てはめてみよう」
「先のクイズで私は、人間の死と生は定義できない。定義しようとすると人間は死に続け、生き続けるという結論になる……と言ったね」
「それが真になるロジックを伝えよう。単純な話だ。生と死を対義語と考えない。生と死は同じこと。全く同じ行為。ただ少し視点が違うだけ、同じコインの裏表だとしたら?」
「つまり生きることは死ぬこと。死ぬことは生きること。どちらも『存在する』という概念の現れ方にすぎない。『死に続けること=生き続けること=存在し続けること』とすればつじつまが合う」
「陳腐な例えを使うなら、サッカーだ。攻めること、守ること。どちらも勝つためにすること。一見対義語に見えるが、同じ。守ることは視点を変えれば攻め、攻めることは視点を変えれば守り。本質的に同じことを、二種類のコトバで表して、区別した気になっているだけだ」
「そもそも、生きるという現象は何か?端的に言えば、変化することだ。体内を血液が循環し、体内の分子が移動し続け。目まぐるしく思考は移り変わる。それはつまり脳内ホルモン、電気信号が変化し続けるから」
「小さな変化が積み重なって、『生きる』という現象が構成されている。生物学を学んだことは?」
「いや、構わない。生物学の初歩で良い、学べばホメオスタシスの仕組みを知るだろう。循環的変化こそが命の本質だと知るだろう」
「全ての体組織、遺伝子がそれを目的とした構造をしているからね」
「俗物君、少し『不快』に感じたのではないか?『命を馬鹿にするな』とか言いたいのなら、先に反論しておこう」
「よく考えることだ。私は命が『単純な化学変化』だと言っただけだ。『単純でくだらない存在』とは言っていない。それはまた別問題。本質を取り違えるなよ。
宗教家や自称インテリは、私に対し『命を愚弄するな』などと的外れな反論をする。厭世的で社会に不満を持つ人間は、『その通り、命なんかくだらない』と的外れな賛成をする」
「私は命が素晴らしいとか、価値があるとか、そんなことは一切問題にしていない。どうでもいい。価値は個人が好きにつければいい。私は純粋に、ただ純粋に科学をしているだけだ。事実、観察、実験に基づく科学を」
「少し話がそれて申し訳ない。では、次だ。そもそも死ぬという現象は何か?」
「死という現象も、やはりそれは『変化』ではないだろうか」
「脳による指令が止まり、イオン循環が停止する。そして腐敗が始まる。タンパク質は分解され、別の分子へと変化する」
「腐敗というと悪いイメージを抱きがちだが。これは単純に『変化』だ。化学反応。化学反応がひたすら続く。死は、継続する。動き続ける」
「死というと瞬間的な『停止』というイメージがあるが、違う!私たちは変化し続ける。死に続け、変わり続ける。生きている時と、何の違いがある?」
「死は一時も止まらない。変わり続け、変え続け。そしてそれをよく見れば、生であることに気付くだろう。そう、実は腐敗も化学変化も、微生物や植物や……何かの『生』の現れなのだ」
「私たちが死ぬ時、同じだけ何かが『生きている』……私たちが生きる時も、同じだけ何かを『死なせている』……つまり、生と死は常にともにある。Aであるとき、つねにB。Bであるとき、つねにA。論理法則よりA=B
つまり死=生
同じ概念だ。ただ、どちら側から見るかで『死』に見えたり『生』に見えたりするだけ」
「生も死も、片方だけで存在できない概念だ。コインの表裏のように、コインがコインであるかぎり、表も裏もなくならない。表だけに見えるとしたら見方が悪い。私たちは今も、『いのち』として。生き続け、死に続けているのだよ……」
「イメージできるか?血まみれの死体転がる戦場。内臓、体液、骨、皮膚のばらまかれた世界。それはつまり、様々な動物が棲み、命と光に溢れた森と同じなのだ!大量の栄養に、微生物が集まり、分解が始まる。活気に溢れた楽園のような世界なのだ。薄暗く人気のない墓地は、光射し魚泳ぐ浅海と同じなのだ!死体、骨。何もかも組成が変化しながら生き続けている。命に溢れた世界。これからは戦場を見て新しい命のかたちに涙し、墓地で素晴らしい命のざわめきに耳をすましたまえ」
「そう。命の気配がまったくない世界とは、戦場や墓場ではない。何も死なず、何も生まれない無の世界だ。誰一人いない、完璧に清掃された手術室。そっちの方が、墓場や戦場よりよほど怖い」
「つまり私たちが死んでも、私たちは終わらないのだ。いつまでも続く。少し様子が変わるだけで、存在し続けるのだよ」
「命は直線じゃない。生という点から始まって死という点でぷっつり、切れる。そういうイメージではない」
「命は、円だ。回転だ。初めと終わりが繋がって、いつまでも繰り返す。繰り返し続けることが命。生という点と死という点は存在するが、通過点にすぎない。瞬間にすぎない。化学で言えば、相転移だ」
「何かが存在するためには、回転しなくてはならない。循環しなくてはならない。わかるかい?宇宙空間では何かを置いておくと回転し始める。もちろんくるくる回るわけではなく、変化や循環がサイクルとして概念化できるという意味だが。それが量子学的に、確率的に、最も安定するからだ」
「私たちは存在するために。回転するために。生と死という循環をわけもわからずかけまわっている!回転車のハムスターと同じなのだ。ぐるぐるぐるぐる回り続けている」
「不愉快だとは、思わないかね?」
「ぽかんとしているな。だから君は俗物なのだ。
よく考えたまえ!生も死も、何もかも命の循環なのだよ。男女の愛情、親子の愛情、時に衝突し時に許し合う人間。全て、命という回転を維持するためのエネルギーの現れだ。
人が集えば発生するいじめ。つまり種の自然淘汰。嫉妬。つまり自らの遺伝子を優先的に残そうとする本能。鬱。つまり防衛本能。賄賂、利権政治、癒着。つまり自己利益最大化の集団行動行為。
全てが、何もかもが、命という回転世界を前提とした理論で説明がついてしまう。これは君、恐るべきことだぞ。実に恐るべきことだ。
私たちの毎日、ささやかな幸せや、悔しさ。感動に悲哀。自分らしく自分だけの幸せ、自分だけの世界、自分の帰る場所。それは全て命の回転という大きな枠組みの中での出来事ということになる。
釈迦の手のひらの孫悟空。感情も意思も、全て命という巨大なシステムのひとつのプログラムにすぎない。君の存在は、歯車だ。命という巨大な回転装置の歯車。
君は自分の意思で何かを決定し、前に進んでいるつもりだろう?だが、それは命という回転のうねりに乗っているだけだ!
我々にアイデンティティなど存在しない」
「だが私は、嫌なのだ!」
「全ての謎を理論で紐解いて、私が達した結論。私はそれを、否定する。不愉快極まりないからだ」
「俗物君、考えてみたまえ。私の存在も、命を輝かせて生きようとする人も。何もかもが回転世界の一部だなんて。流されているだけなんて。馬鹿にするな。人間はその程度の存在じゃない!」
「私は天才だ。私は世界の理を知った。肌で触れるように理解した。だが、私は世界を超える。いや、人間には世界を超える力があるはずだ。人間は脳の中に虚数空間を持つ唯一の動物。回転世界の回転から抜けて、死や生から自由になることは、人間の潜在能力なら可能だ!そうだろう」
「私は思う。もはや人類は新しい時代に進むべきなのだ。命を至高とし、死や生に縛られていた時代を、過去とすべきなのだ。
苦しい人生、死という悲しみ、死と生の様々な矛盾。戦争、自殺、エゴ……矛盾に誰が答えられる?誰も答えられはしない!もはや既存の宗教、倫理、哲学では解決は不可能だ。
私は常識外れの思想家だ。だがけして夢想家ではない!それは君もわかっているだろう。私の理論は極めて現実的だ。既存の科学に少しも反さない。感情的な反論ならできても、論理的に私を否定はできない。
私は世界に革命を起こそう!人間が命という呪縛から解き放たれるための革命だ。恐れるな。私が先陣を切る。私の才能を信じてついてきたまえ。常識や偏見が荒波のように我が道をふさぐなら、私はモーゼとなり海を両断してみせよう!」
「俗物君、君はわかるはずだ。今まで考えたことのない発想だから、混乱しているだけだ」
「死と生が回転し、その遠心力で我々を縛り付けているとするならば。その輪廻を断ち切ろう!死なないために生きる必要などない。断ち切るのだ。そのために、死をも克服してみせよう。全人類よ、自殺するのだ!」
「リストカット、首吊り、飛び降り。そんな自殺では駄目だ。それは命に縛られた行為。死ねば呪縛から放たれると信じて死ぬのだろうが、死んでも状況は変わらない。死後も縛られ続ける。だが私は知っている。自由になれる方法を。
私は今までたくさんの死を見てきた。自由になれる死を模索するため、あらゆるケースを見物し、演出した」
「結論から言えば、君たち俗物が思いつく自殺では駄目だ。今までにない全く新しい方法に、私が案内しよう……」
「いいか俗物君。革命とはいつの時代もまやかしのようなものだ。
かつて、身分が常識だった時代があった。身分なしに世界は考えられない。生まれながらに身分はあり、それは真理かつ絶対だった。それをなくすなど、一種のまやかしだと思われただろう。
しかし身分はフランス革命が破壊したのだ!人間の力が、絶対の真理を超えた」
「命という絶対の真理に縛られている人類は、革命でこれを超えるのだ!フランス革命戦士が身分制度に矛盾を感じたように、命に矛盾を感じる人間が増え始めている。革命の風だ!」
「幸せに変わって得られるもの。それは『自由』だ」
「死も生も何もかも超えて解放され、愛やエゴや義務や権利から解放され。ただありのまま、自由に。たゆたう風のように」「自由こそが幸せに変わって『発明』され、新たに人類が手に入れるべき尊厳だ。人間はすべてを超えてそれを手にできる。
鏡にまつわる話です。
これは叔父から聞いた話なのですが
ある日叔父は行きつけのバーに行き、飲んでいました。
アイヌ人のママと話していて、その時鏡に関する話になったそうです。
ママ「鏡を正面に見て、斜め45度下を向く。そうしたら右側に振り返ってみて。そうすると何か見えるはずよ。」
叔父「へぇー…。(そんなわけあるかよ。へっ。)」
叔父は帰り、歯を磨いている時ママのその話を思い出ました。
あるわけ無いと思いながらも彼女の言った通りに鏡の前でやってみたそうです。
その時叔父が何を見たのか、それは僕には教えてくれませんでした。
でも「何か」を見たそうです。
鏡は自分自身をありのままに映してしまう物で、例え心を偽っていても、見透かされてしまうのだそうです。
ママの言っていたのは、鏡を利用して4次元空間(?)を覗く方法らしいです。
僕はこれを聞いてあまり鏡を見たくなくなりました。
どなたか興味がある方は試してみてください。
何も見えないかもしれないし、「何か」が映し出されるかも知れません。
「正面に自分を見て45度下を向く。そして右側に振り返る」です。