年が明けて、初詣の季節ですが、聖えりか様を見習ってクリスチャンを目指しているわたしは、当然偽りの宗教の偶像崇拝などは決して行いません!
ですが、初詣の際、皆様が賽銭箱にお金を投げ入れる姿は新年の風物詩ということで、教会に対しても、金員という形で奉仕することは必要であることは認識しています。かつてわたしが通っていた教会では献金の額で信徒のランクが決まるというものでしたが、どうも納得がいかず、金員による奉仕について、聖えりか様に率直に尋ねてみることにしました。というのも、地上に富を蓄えずに天に富を蓄えなさいという聖書の御言葉をことさらに強調して寄付を迫る教会も世の中にはあるということを知り、疑問に思ったからです。
すると、聖えりか様はいつものように戸棚から聖書を取り出すとまるでマグダラのマリアのような微笑みを浮かべて語り始められました。
教会の運営や無償で聖書を伝えるには、ある程度の金銭がないとやっていけませんわね。だから、金員による奉仕活動も重要なものです。しかし、コニタンなら、かつて教会が免罪符を販売していたことを知っているでしょうから、その点に疑問をもたれるのも当然かも知れません。わたしのように明日の備えは主なる天の父がしてくださると考えれば、何も貯蓄など必要はないかも知れません。しかし、わたしは、職業司祭という考え方をあまりよく思ってはおりません。主なる天の父は労働を勧めており、職業司祭はその意志に反していると思いませんか?コニタンが良心から最大にできる範囲で寄付なりをするなら、それは素晴らしいことです。しかし、それを評価するのは司祭ではなく主なる天の父です!
もし、他の信徒の方々から賞賛を受けるためなら止めておかれるのがよいでしょう。
この点について、興味深い聖書の御言葉がありますから、ご一緒にご覧ください。
「しかし、神殿で教えていたとき、イイススは、返答する際こう言い始められた、『書士たちが、ハリストスはダビデの子であるというのはどうしてでしょうか。聖霊によってダビデ自身がこう言ったのです、【主なる天の父は、私にの主にいわれた、わたしがあなたの敵たちをあなたの足の下に置くまで、わたしの右に座していなさい。】ダビデ自身が【主】と呼んでいるのに、どうして彼の子なんですか』
そして、大群衆が彼の話すことを喜んで聴いていた。また、その教えの中で続けてこういわれた、『書士たちに気をつけなさい。彼らは長い衣を着て』歩き回ることを望み、市のたつ広場での挨拶と会堂の正面の座席、そして晩餐では特に目立つ場所を望みます。彼らは、やもめたちの家を食い荒らし、見せかけだけの長い祈りをする者たちです。こうした者たちはより重い裁きを受けるでしょう。
それから、イイススは宝物庫の箱の見えるところに座り、群衆が宝物庫のの箱の中にお金を入れるのを見守っておられた。すると、大勢の富んだ人たちがたくさんの硬貨を入れていた。そこへ、ひとりの貧しいやもめがやって来て、小さな硬貨を2つ入れた。それは価のごくわずかなものである。すると、イイススは弟子たちを自分のもとへ呼んでこういわれた、『あなた方に真実に言いますが、この貧しいやもめは、宝物庫の箱にお金を入れているあの人全部よりたくさん入れたのです。彼らはみな余っている中から入れましたが、彼女はその乏しい中から、自分の持つもの全部、その暮らしのもとをそっくり入れたからです。」』
この聖書の御言葉にあるように、よい業は、決して他の信徒や世俗の方々から賞賛を受けるためではなく、主なる天の父から報いを受けるためなのです。決してパリサイ人のような偽善的な信仰に陥らないでください。コニタンは真の神主なる天の父のみに仕えて世の何者からの賛美を期待してはならないことを肝に銘じてください。
コニタンは本日、その信仰心をどのように具体的に表すかを学びました。これも、主なる天の父、あなたの御言葉聖書がコニタンを導いておられることに感謝致します。コニタンはあなたに仕えて決して傲慢なる信仰心を持たないように、どうかあなたの聖霊のお力で助けてくださいますように、信仰の模範者御子イイスス・ハリストスのお名前を通してお祈りいたします。
アーメン