こんにちは、安希子です。
今、ここを生きる
というような言葉が色々なところで使われています。
過去も未来も無く、「いま」しか無い。
と最初に聞いたときは全く意味が分からなかったのですが
「いま」にフォーカスを向けるトレーニングし続けると
そういうことか!!とビックリすることが増えて来ました。
一番大きな変化が、過去というものの存在感。
例えば、ここ二週間の動き方を見てみると
「いま」の自分にとっては、出会った人も出向いた場所も
ものスゴーーーク遠い昔のような気がするんです。
今度は半年前の10月頃を思い返すと
私的には10年前くらいの感覚で
違う惑星にいた自分を俯瞰で眺めているようです。
でも、記憶がなくなっているわけでは無く
そのときの匂いや、全体の空気感、話した会話やトーン
自分が何を感じていたかは覚えている。
何が決定的に違うかというと
そのときの何かが「いま」の自分に影響していない。
要は、「それはそれ」という点でしかない。
どうしてこんなことになっちゃったんだろう?
と、私はあまり思わないのですが(笑)
「いま」いる環境が辛い人からは、この言葉をよく聞きます。
仕事をしたり、家族を持ったり、外に出れば世の中のエネルギーがあって
悩みやストレスはつきものかもしれません。
過去に意識を向けるのも、未来を思い巡らせるのも
その人の自由裁量。
人にはそれぞれエネルギーの量というものがあるのなら
どこに自分のエネルギーを注ぎたいのか?
ということを、「いま」設定し直せば良いのだと思います。
どうしてこうなっちゃったのか??の原因をはっきりとさせることで
「いま」一歩踏み出すことができるなら
とことん過去を振り返ってみるのもアリだし。
そこにエネルギーを注ぐことに疲労を感じるなら
もう思い出さなくても良いんじゃ無いですかね?
「あのときは、そうしたかったからそうしたんだ」と流して手放す。
そうすると、過去の出来事も感情の色がつかない
ただの点になります。
自分の行動を後悔しても、そのときの自分にとってはそれがベストだったんだと
まず赦してあげる。
戻れないしやり直せないことを、今も大事に抱えているエネルギーが勿体無い。
また、誰かや何かのせいにするエネルギーは
全てブーメランのごとく自分に返って来ると言いますが
自分の意識が自分の環境を作っているので
まさに自分を裁いている行為。
裁いている自分に気づいていけると良いですね。
その全てがあって、「いま」の自分がある。
そして、5年前とも去年とも先月とも昨日とも違う
「いま」の自分を感じてくださいね。
今日も素敵な1日を♫