こんにちは
毎日午前保育が続き、次男を送ったと思ったらお迎えの時間という日々を過ごしています
さて、今日は娘が抱っこで寝ているので、少しお耳のお話を書きたいと思います。
私は、幼稚園の年長さんで顎の手術、小学校の3年生から耳の手術をしています。
幼稚園時代の私は、
こんな感じのオカッパ頭で過ごしていました。
年中さんからの2年保育で幼稚園に入った私は、いろいろなお友達と大勢で遊ぶのが好きでした。
当時の記憶は、良く絵を描いて遊んでたことや、発表会のことなどところどころしか記憶にないのですが、母の記録を見て思い出したことがありました。
幼稚園に入って半年ぐらいの時の記録に
ここ最近そよこの様子がおかしい。耳のことをクラスの子に言われてもさほど気にならないらしいが、バスの中で年長さんに言われるのがすごく気になっているようで、帽子をかぶった時もむきになって隠す。
ごめんね、そよこ。あなたをそんな形で産んで。でも、ママにとっては大切なそよこ。すごくほしかった子なの。ママの宝物なの。わかってね・・・。
そう書いてありました。
正直、その時の記憶はまったくありません。覚えているのは年長さんになってからの記憶です。
年長さんになってすぐのときの記録に、
耳のこと、特定のお友達に毎日のように言われているようで、そよこを元気づけた。「ママから言って」と言われたけれど、そよことお話をして、10分ぐらい考え「自分で言ってみる」と言い、次の日にちゃんと伝えたようだ。
「そよこね、死にそうだったの。でもママとパパとお願いして、耳がこんなになっちゃったけど、死なないで生まれてきたの。病気なの。だから言われるのが嫌なの。だから言わないでね」と涙ぐんで言ったらしい。
それからそのお友達は、耳のことを言わなくなったようだ。
とありました。
この、お友達に自分で伝えたことは今でも覚えています。
きっと当時の私にとって大きな出来事だったんだろうと思います。
子どもを育てていて感じますが、子どもは疑問に思ったこと、感じたことを口に出して伝える。それが日常なんだと思います。
だから、耳のことを言っていた子たちには悪気なんてなく、そのとき疑問に思ったから言っていたんだろうなあと思います。
母に感謝しているのは、私が母から言ってと言ったときに、まずは自分の口から伝えられるよう話をしてくれたこと。
決して見ていただけではなく、どうしたらいいのか、どう話せがいいか一緒に悩んで相談に乗ってくれたことです。
今思うと、母のほうがその話を聞いていて辛かっただろうなあと思います。
私が耳のことを隠さなくなったのは、母に支えられていたからだなあと本当に思います。
子どもが悩んでいるときにスッと手を差し伸べられる、悩みを打ち明けられる、そんな母に私もなれたらいいなあと思います。
さて、娘が起きてキーボードをいたずらしたくてたまらないようなので、今日はこの辺で
(長くなってすみません)