昨日は「喨の会」でした。
先月が「未来」の編集会議と重なってしまったので、一カ月ぶり。一カ月あいてしまうと、振り出しに戻った気分で緊張感が半端無い。提出する句も、ぎりぎりまで手を入れて悩んで悩んで、出したあとでまた後悔して。句会は楽しいけれど、苦会でもあるなあ。まだまだ腰が据わらない。
今回は主宰に一句とってもらった。
その句も、ぎりぎりで手を入れて直した句。ああ、こういう感じは主宰が好きかもしれない、なんて不遜なことを思っていたら採られたので、そういう意味ではなんとなく選の方向がわかってきたのだろう。そんなことがわかったところで、主宰好みの句が自在につくれるわけではないし、ましてや自分の句がよくなるわけでもなんでもないのですが。

初めてこの「喨の会」に参加したのが去年の二月だったので、ちょうど一年たったことになる。
「澤」の会費振込の通知も届いたし、ほぼ一年、俳句と真剣(?)に取り組んできて、季何さんからも「どうするんですか?」とか言われても、本人もよくはわかっていない。

ただ、昨日の句会の「しばり」が「雑誌広告」というちょっと変わったもので(その題が決まったときにわたしはいなかったのでくわしいことはわからないのだけれど)、昔の雑誌に載っていたいかがわしい広告(睡眠学習機とか身長が伸びる器具とか)の話が話題になったらしく、その延長で雑誌広告を詠み込んだもの、という「しばり」になったらしい。
みんなの句は、「日ペンの美子ちゃん」からヌードの乳首の星印まで、なかなかにバラエティに富むものだったけれど、主宰が「すけすけメガネ」で何句もつくっていて、ああ、こういう小澤さんはいいなあと思ったんですよ。「すけすけメガネ」ってわたし知らなかったけど、服が透けて見えるメガネってことですかね? どう考えてもインチキとしか思えないものなのに、小澤少年は心ときめいたのでしょうか(笑)。こんな馬鹿馬鹿しいものを句材にしてしまう、そんな主宰のいる「澤」はすばらしいと思ったですよ(まぢで)。はい。もう少しここで修行させていただくことにします。

昨日は、『雲の座』で俳人協会賞新人賞を受賞された押野さんのお祝いの会でもありました。めでたいことでありました。
(俳人協会新人賞がどういうものかとか、現代俳句協会との違いとか、俳句の賞に関してのいくつかのびっくりする話とかについても話を聞いた。そういう話を聞くにつけ、短歌との違いは人口の差かなあ、ということも思う。俳句の世界にはけっこうな標高の山がいくつもあって、ひとつの山の登頂を果たしたとしても「俳句」という山脈を制したことにはならなくて、そのすべての山を制覇することには全く意味がなくて、むしろ隣の山はないものと思って山裾あたりで暮らしているひとが一番楽しい……っていうような喩を、かなり無責任に言ってみたり)