昨日、一昨日とアップしたブログを見て、以前から私を知ってくれている方だけでなく、そうでない方からもあたたかい励ましのメッセージをいただきました。

自分の気持ちを整理する意味で書いたのですが、みなさんのあたたかな思いやりに、ずいぶんとこころが晴れました。

この場を借りて、ありがとうございます!
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さて、タイトルを見て、久しぶりにブログ書き始めたと思ったら暗い話つづきかよー汗と思われた方もおられるかもしれませんが・・・。

はい、今日ここから先は、今後、まだ見ぬネパールという国に夢と希望を思い描いていらっしゃる方、あるいは休暇を過ごす場所としてのネパールにロマンを感じていらっしゃる方はお読みにならない方がいいかもしれません。
(って書いて本当に読まない人っているのかな?私なら絶対読んじゃうけど。笑)
読み終えて、「夢をこわされた!」と苦情をいただいても、責任は負いかねますドクロ
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8月末に、無事ネパール再入国を果たした私ですが、それ以来、なんとも言い難い倦怠感のようなものにおそわれていました。

ひとつの大きな節目であった、初めての一時帰国を終えて戻ってきたネパール(カトマンドゥ)は、以前のように新鮮なおどろきに満ちた、心躍る場所ではなくなってしまったのです。

たとえば、慢性的な電力、水力不足。
以前なら、「これくらいの方が資源のありがたみがわかっていいや」なんて思っていましたが、やっぱりね、あるならあるに超したことはことはないわけですよ。

そしてたとえば、一国の首都だというのにガッタガタの道路。
たとえば、大気汚染。
たとえば、道端に積み上げられたごみの山、それに悪臭。

以前なら、ぶつぶつ文句を言いながらも、まぁ、これでこそネパールなんだし、みたいに思っていたのですが、冷静に考えてみれば、道路に落とし穴みたいなでっかい穴はあいてない方が良いに決まっているし、1時間も外を歩けば全身排気ガスとホコリまみれ、コンタクトを入れた目は開けていられないほどの汚い空気はきれいになった方が良いに決まっているし、毎日ごみの山の前を歩くなんて、しないで済む方が良いに決まっているわけです。

そしてもっと深刻なのは、何度となく選挙を繰り返しても、首相の決まらない政府。
難易度の高い内容を詰め込むだけで、本当に将来の役に立つことを教えない教育制度。
国のリーダーであるべきなのに、国民の生活水準を上げることなど眼中になく、私利私欲でしか動かない政治家たち。

このままで良いわけないんです。

気付いていなかったわけではないけれど、1年数カ月ぶりに「先進国」日本を訪れた後、なんだかベールがはがれたようにいろんなことがドカン、とクリアに見えてきてしまったのです。

で、じゃあネパールが嫌になって、日本に帰りたくなったのか、というと、そういうわけでもないんです。

しばらくぶりの日本は、素晴らしく快適だったけれど、「やっぱり日本が一番!」とも思いませんでした。
もちろん、久ぶりの家族、友人との再会は、本当に楽しい時間でしたが、その他の部分で日本は、なんだか何もかもがきっちりしすぎていて、息苦しいような感じがしたのです。

やっぱり、私の生活する場所、そしてやりたいことは、今の時点ではまだ、ネパールにあるのだな、という気がしています。

ただ、「やったるでーい!!」と気合を入れてやってきた1年半前にはキラキラと輝いて見えていたものが、あるがままの状態で見えるようになったということ。

ある意味、余分な肩の力が抜けきったからこそで、本当に、ネパールの住人(ネパール人ではありませんよ)になったということなのかもな、という気もします。

旅行で何度も訪れるとか、あるいは仕事だとしても期間の決まった滞在であったら、今もあらゆることがキラキラして見えたのかもしれませんが、私にとってのネパールは今、「訪れる場所」ではなく、「帰ってくる場所」「生活する場所」なのです。

そんなことをぐずぐずとこの2ヶ月間考えた結果、ここらでちょいと、アクティブ度アップしてみるべきかな、と思うに至っています。

毎日仕事して、普通の生活をするだけでも充分に刺激的だった時期は過ぎて、ここからまだ、新しい発見をしたければ、自分からどんどん探して、つかんでいく時期に入ったのかな、と。

というわけで、ごく最近ですが、勤め先の学校の、ジャズビッグバンドクラスに参加しています。
といってもみんな初心者、各パート譜がちゃんとあって、書かれているものを弾くだけなのですが、クラシック育ちの私にとっては、新しい体験です。
今度の日曜には、2曲だけですが、初めて人前で演奏します♪

祖父のことがあったからとは言え、3日連続でブログアップなんてしてみているのも私にとってはけっこうアクティブな感じ。

のんびりゆるゆるネパール人に囲まれて、このアクティブモードをどこまでキープできるかは未知数ですが・・・(笑)

次回以降、また楽しい話もアップしていきたいと思います。


写真はついこないだ終わったネパール最大のお祭り、ダサインの期間中に、近くのお寺へお参りに行った時のもの。
ネパールゆるゆる日記
プジャ(お祈り)セット。ボゥズと呼ばれる伝統的な料理と、お花やお酒を持って行きます。

ネパールゆるゆる日記
こんな風に手編みのカバーをかけて。

ネパールゆるゆる日記
お祭りのため、この日は早朝から参拝に訪れた人々が、長蛇の列を作っていました。待ち時間2時間!ディズニーランドかと思ったぜ(笑)

では、ナマステパー
先週の金曜日、ガンで闘病中だった祖父が、天国へと旅立ちました。

前日の夜は、どういうわけだかなかなか寝付かれず、結局朝方になってようやく眠りについたので、朝、母から祖父の危篤を知らせるメールが届いた時は、まだベッドの中でした。
突然、心臓がバクバクして、それに押し出されるように、涙があふれました。

とくに迷いもなく決めたネパール行き。

旅立ち前、ひとつだけこころにひっかかっていたことが、大切なひとの最期を、見届けてあげられないかもしれない、ということでした。

自分で決めたことだから、と、覚悟はしていたつもりでした。

でも、まだどうなるかわからないさ、と、涙をふいて、お昼からのレッスンに1時間近くも早くに向かったのは、家に一人でいたくなかったからだったと思います。

ひとつめのレッスンを終えて、空き時間。

お昼を食べようと、一度レッスン室を出たものの、なんだか落ち着かなくて、レッスン室に残って練習していた生徒のところに戻って、世間話をしていたところに、電話が鳴りました。

どんな感情よりも先に、涙があふれて止まりませんでした。

スタッフのみんなが、とにかく帰って、落ち着いて家族と話をしたらいいよ、と言ってくれて、ぼろぼろ泣きながら家にたどり着くと、テーブルの上に置いてあった、夏に祖父母と3人で撮った写真が目に飛び込んできました。

すぐに飛行機の手配をして、帰国しようとも考えましたが、どうがんばっても翌日のお通夜はもちろん、翌々日の葬儀にも間に合いそうもなくて、家族の意向もあり、断念しました。

帰国が現実的でないとわかると、何をしていいものやらわからなくなって、しばらく呆然とした後、なぜだか、本当になぜだか自分でもわからないのですが、洗濯をしました。

たぶん、何かすごく、日常の、当り前のことをやって、平常心を取り戻そうとしたのかな、と思います。

その後、土曜と日曜はお休みをもらって、月曜はもともとのお休みなので、3日間、今までに味わったことのない、奇妙な感覚で、時間を過ごしました。

大切なひとが逝ってしまったというのに、遠く離れたここ、ネパールでは、いつもと何も変わらない時間が流れていて。

私は、ひとり取り残された子供のように、泣き続けたけれど、それでもちゃんと、お腹は減って。

こんな時にお腹が減るなんて、と思いながら、重い体を起してのろのろとごはんの支度をしていると、祖父が亡くなったことが、とても現実とは思えなくて。

お通夜、お葬式というのは、旅立つ人のためじゃなく、残った人たちのため。
皆で悲しみを共有することで、別れをちゃんと受け止めて、また歩き出すためのものなんだな、と思いました。

私が祖父の死を身をもって実感するのは、いつになるかまだわからない次の帰国の時、祖父のいない祖父母の家を訪ねる時なのだと思います。
今は、想像するだけでも胸が痛むけれど・・・。

でも、最後の最後まで、「生きること」への好奇心を失わなかった祖父。
ガンの告知を受けてから1年余。
入退院を繰り返す生活の中で、「地デジ対応のテレビを見に行く」と言ってデパートに出かけ、無理がたたって、その後すぐ入院になったこともあったとか。
ガンが見つかった当初は、余命3カ月とも言われたそうで、その時はひょっとしてこのままお別れになるのだろうか、と思いましたが、その旺盛な好奇心のおかげで、夏の帰国時にはたくさんの楽しい時間を一緒に過ごすことができました。

教育者だった祖父は、私が教育に携わることを喜んで、応援してくれ、私の話を本当に興味深そうに聞いてくれていました。

考えてみれば、もし私が東京で働いていたら、あんな時間は持てなかったのかもしれない。

そう思うと、できる限りのおじいちゃん孝行はしてあげられたのかな、と思います。
(できればひ孫の顔、少なくとも花嫁姿くらい見せてあげたかったけれど、そればっかりは私一人でがんばってどうにかなるものでもないしね。)

一時帰国から戻って、色々考えること(また少しずつブログに書きたいと思います)もあって、少し気力が低下していた私でしたが、祖父の旺盛な好奇心を見習って、ここでまた、気を引き締め直してがんばろうと思います。

このブログをいつも楽しみにしてくれ、将来大切な財産になるよ、と今までアップした記事を全てプリントアウトしてファイルに綴じ、保管してくれていた祖父。

いろんな思いが重なって、うまく言葉にできない時もあるけれど、天国から見守ってくれているであろう祖父のためにも、そして、いつも気にかけてくださっている方々のためにも、またこれから少しずつ、アップしていきたいと思います。

おじいちゃん、長い間、ご苦労様でした。
これからは天国でのんびり、私たち家族を見守っていてください。



$ネパールゆるゆる日記

祖父に見せたかったヒマラヤ。
ひょっとしたら今頃、私よりずっと近くで眺めているかな?
ふと目をさますと、部屋のなかはすっかり暗くなっていた。
泣き疲れて、はれたまぶたの重みに耐えられず、いつの間にかねむってしまったようだった。

横になったままめがねをかける。
開けたままにしていた窓から、かおを出したばかりの月が、こっちをみていた。
それはそれはみごとにまんまるな、たまごいろの満月。

おじいちゃんだ、と思った。

どちらかといえば丸顔で、私が物ごころついたころにはすでに、つるつるの頭をしていた祖父は、そういえばまんまるお月さまによく似ていた。

おじいちゃんは月になったんだ。

そう思うとすこし、安心した。

真夜中に、屋上にあがると、月は、空のずっとずっと高いところにいて、時折流れてくるうすい雲にそれはそれはきれいな色の虹をかけながら、じーっとこっちをみていた。

それはいつもかわらない、おじいちゃんのやさしい笑顔だった。

私はからになったティーカップをもって立ち上がり、おじいちゃんにおやすみをいった。