令和6年1月3日 午後11時15分
父が永眠いたしました
享年90歳 (行年92歳)

家族には厳しく、
曲がった事が嫌いな父
シャイなので表には出しませんでしたが
根はとても優しい人
父の人生は
家族や親戚を黙って見守り
人のために生きてきた 
そんな人生だったのではないでしょうか

建築業(大工)を営んでおり
新築や、増改築以外にも
お寺や神社の補修も頼まれ
たぶんですが、住んでる所のお寺や神社は
奉仕活動の一環で無料でやっていたのではないかと思われます
地域の役員や、神社の役員(会計を長く勤め、氏子総代や大総代)も頼まれて行っていました

大工の棟梁ではありましたが
儲けるのが本当に下手で。。。
人がよくて (悪くいえば外面がよくて)
頼まれると断れず。。。
ここは私も似てしまったかもw

ハーモニカをふくのが上手くて
ギターも弾き語りができるほどの腕前でした

ですが、そんな父から私は
距離を置いていた時期があって。。
家を出て25年
法事などで帰宅しても
泊まることをしなかった私は
この年末年始25年ぶりに
自分の部屋で寝ました
懐かしいはずの部屋はまるで他人の家のようで
初日は寝付かれず。。。
部屋だけではなく、家そのものが
私の知らない物であふれ
キッチン用品や調味料も
どこにあるのかわからない
昔とは違う、勝手のわからない
知らない家のような そんな感じでした
そんな年末
日に日にただ寝ているだけの父となり
あと2~3ヶ月くらいかなぁと
思っていたのですが
年が明け、能登半島の地震、空港での事故
連日大きな出来事が起こり。。。
昼間、父のいる病院に行き
仕事柄、昔は筋肉質だったのに
父の痩せて細くなった腕や 頭をなぜながら
もうこれ以上何も起こりませんように
そんなことを思った日の夜
病院から母の携帯に電話があり。。。

翌日から。。。
葬儀の手配と打ち合わせ
お寺への連絡 親戚に連絡
通夜から 葬儀 初七日
あっという間でした

今までの身内の葬儀は
お寺で行う葬儀以外
全て自宅で行っていました
といっても最後の葬儀は
30年近く前の話ですが。。。
近所の人が手伝いに来てくれ
父の仕事仲間が色々手配をしてくれました
常に家にはわしゃわしゃ人がいて。。
そんな田舎の昔ながらの葬儀でした。

父の葬儀はセレモニーセンターを利用
両親がそこの互助会に入っていたから。
とにかく、至れり尽くせりで
失礼のないようにと 寺の住職のことや
私達に葬儀のマナーなども教えてくださり
非常に助かりました


80まで現役で働いた父
若い頃から共に汗を流した仕事仲間は
みんな亡くなって
父はみんなを見送ってきたんだね

老衰で亡くなりました 父らしいです
90年 長い人生大変お疲れさまでした
親不孝な娘でごめんなさい
直接伝えられなかったけれど感謝しています
本当に本当にありがとうございました