昭和40年生まれ、現在44歳、夫有り、子供なし。
国家公務員(大卒・Ⅱ種)として某省で20年勤務する。
まあ、この年齢だと、仕事も油にのってがんがん管理職目指して頑張っていることだろう。
私もごたぶんにもれず、20代~30代にかけて、夜中まで働いた。
おかげで自律神経失調症になり、生理もとまり、結婚しても流産し、その後は不妊症になってしまった。
たかが男性と同等に働くのに、女性はこんなにも自分を捨てて、キャリアを築かなければならないのか。
結婚年齢をとっても、たとえ晩婚であっても結婚すると、出産年齢の高齢化、出産しても、育児休暇で育児を背負うのは今も昔も女性が常であろう。
女性の結婚や出産年齢が高齢になればなるほど、仕事ものっている時期にぶつかってしまうのである。
おまけに、若い頃に無理して残業の毎日を送ると、てきめんに女性は身体に現れる。
いざ子供がほしいと思うときはすでに不妊症になっていて、おまけに気付いた時は高齢40歳、という人も少なくないだろう。
いかんせん、高齢出産と仕事のキャリアとの板挟みになるのである。
今子供を産まなければ、ますます高齢になってしまう。
しかし、今、育児休暇で何年も仕事を休んでしまうと、同期から随分遅れをとってしまう・・・・
だが、私は紆余曲折あったが、数々の試練に負け、積んだキャリアを捨てて昨年末で霞が関の某省を辞職した。
そして、無職時代が5ヶ月目に入った。
さすがに自らの収入がないのは不安があり、正直不便きまわりない。
仕事を辞めた当初は、さすがに後悔したものだ。
すっきりさっぱり辞められる人は、どこか余裕にある人か、次の目標をしっかり持っている人たちに限られる。
何から書けばよいのか、とりとめもつかないが、自分の仕事人生を振り返ってみようと思い、書き始めることにした。
まず、この題名。妃殿下に対して失礼であろう。だかしかし、男女雇用機会均等法時代の先駆けを走った方として、私は尊敬しているし、歳も近いことだし、あくまでも、前出法時代の代名詞として借りることにした。もちろん、失礼のないよう、心がける。また、あくまでも、「男女雇用機会均等法時代」が始まった頃、それに該当する女性達がどのように扱われたか、自分自身のことになるが、一例として綴っていきたいと思う。
【第一章 国家公務員Ⅱ種採用は、大卒女性は、20年前まで地方局では採用されなかった事実】
自分自身の事になるが、学生時代から、親からしつこく、「女だったら、公務員が楽だよ」(=公務員になりなさい)と言われてきて、おおいに反発してきた。
しかし、いざ就職戦線を迎えると、地方出身で親元から通っていない女子大生を採用する企業は地方都市には皆無に等しかった。
しかたなく勉強を始めるも、文学部国文学科では、政治・経済の勉強には非常に苦しめられた。独学だったからかもしれないが、自己の誘惑との戦いだったから、なお苦しかった。
そして、その頃、あとで触れるが、ろくな男と付き合っていなかったから、当然のごとく、その年の公務員試験は、3つ程受けたが全て落ちた。
しかし、就職しなければ、食べてはいけまい。
そこで、公務員試験の勉強をしていて、私は身近な問題を考える民法を面白く感じ、とりあえず、運よく法律事務所に就職が決まった(後日談があるが)。
法律事務所はどんなことでも弁護士が「王様」である。
事務員はやくざもどきからの電話の対応に追われ、私は新人だったから、先輩達にその電話をいじわるく回され、耳元で、大声でやくざにどなられる毎日を送るようになった。
最初は怒鳴られ、すごまれ、電話だったが、殺されるかと思った。体中の毛が逆立った。
そして、ある日、用事をいいつけられた帰りに、また国家Ⅱ種の公務員試験の問題集を買って帰ってきて、その夜から午前2時まで勉強した。
それが5月だったから、7月下旬の試験まであと2カ月もない。
法律事務所の悪口はあとでふれることにして、私は必死で法律事務所を脱出するべく、これしか手立てがないから、一生懸命勉強した。
2回目は、地方上級職と国家公務員Ⅱ種の試験を2つ受けたが、地方上級は落ちた。
地方上級試験の1週間後が国家公務員Ⅱ種の試験だったが、力が抜けて、気楽に受けた記憶がある。やるだけやった。もういいや。
気負わずに受けたのが良かったのか、ビリから何番目かで、ようやく一次試験の合格通知を手にした。
あれは暑い夏の8月20日(土)。アイスを買おうとアパートから出たときにふと郵便受けを見たら、ハガキが入っていた。
「なんだ・・・また勧誘か」と思って良く見たら、「二次試験のご案内~何月何日何時から、第2合同庁舎で・・・」とのことで、最初は把握できなかったが、事情を呑み込むと私は舞い上がってしまい、もう合格した気分になっていた。
人間というものは、必ず何かのオーラがあって、「合格する」と思ったら、「合格する」のである。
二次試験は、面接であった。そして、とりあえず、その年の国家公務員Ⅱ種試験には合格することができたのである。
しかし、これで喜んではいけない。合格したといっても、たんに帳簿に載るだけで、「官庁訪問」とやらをして自己をアピールして、その官庁の試験を受けなければならなかったのである。
たしか、6つくらい、私は官庁訪問をしたと思う。その頃は地方のある大きな政令指定都市にいたから、中央省庁の地方支分部局があり、そこをまわるのだ。
そして、仕事の内容や、自分の質問など長くはないやりとりがあって、「○○庁だが、試験に来て下さい」という電話を待つのである。
この連絡を待つのもきつかった。いつくるともわからない連絡を、まだ法律事務所に勤めながら待つのである。
しかし、ついに「受験に来て下さい」との連絡がきた。ここで、私はまたもう合格した気分になっていた。きっと、体中からオーラが沸き出ていたことだろう。
そして、試験の日。何人か受験生がいて、筆記試験と、幹部の面接試験が行われた。
私は、ここの地方局だけからしか受験の連絡がこなかったから、もっと緊張すべきだったと思うのだが、なぜが合格する気持ちがしていた。
そして、合格発表の日。
夕方、たしか、留守電に人事担当のからのメッセージが入っていた。
「・・○○さんに来ていただきたいという結果になりました。つきましては・・・」
やっと、やっと合格したのである。
理不尽な法律事務所から抜けられる。一生働ける。まぐれでもうれしい。
そう思い、人知れず、酔いしれたことはいうまでもない。
しかし、入省(入局)するまで、私は国家公務員の実態を知らなかったのである。
私を採用してくれた某省の地方支局では、初めての「国家Ⅱ種」の女性を採用したとのこと。
入局してから、そのものめずらしさから、私の一挙一同をつぶさに見られ、良いことも悪いことも、陰口をたたかれる毎日が始まったのである。