「怒ってくれる先生がいなくなります」
ある小学生のお母さんに言われた言葉。
その子は新しい塾に移るのが決定していて、もう実際に通い始めていて。
本人に聞く限り、凄く楽しそうに他塾の話を教えてくれていた。
けど、その言葉で、本当に必要なものが少し見えた気がする。
塾の先生は、学校の先生とは違う。
一般的には、勉強を教えて、成績を上げて、いい学校へ進学させることが塾の先生の役割。
学校の先生は、勉強よりも生活規範を教える(実際、学校の先生の仕事のうち7割が生活指導)。
ずっと、それでいいんだと思ってた。
しかし、現代の学校はどうだろう?
ちゃんと善悪の判断を教えられているか?悪いことをした子どもを納得させて叱れるか?
できているのなら、学級崩壊なんて起こるはずがない。
なめられている「先生」なんて、「先生」じゃない。
なめられている時点で、子どもには何も教えられていない。
家庭教育にも学校教育にも、限界がある。
どちらも「家」や「クラス」という箱の中の生活だから。
毎日同じ箱で生活し続けていても、生きていく上で必要な社会規範は身につくはずがない。
じゃあ何が必要か?子どもが自由に探検できるが、親だけではない地域の大人の目が光っている「地域教育」が絶対に必要。
中学校までは「道徳教育」がある。
実際、半分ぐらいは遅れている授業の穴埋めや行事の準備・振り返り、遊びに使われるのだけれども。
道徳教育も、所詮紙に書かれた絵空事でしかない。これでは子どもには必要性が分からない。
身を以て体感したことじゃないと、記憶にも残らない。
「怒ってくれる先生がいなくなります」
その言葉で、改めて自分の役割が分かった気がする。
「もっとビシバシやったってください」
など、厳しくやってくれという言葉はたくさん聞いてきた。
私には子どもはいないし家庭もないけど、
家庭教育も、悩んでいるのかな って、ちょっと思った。
地域教育は死んでしまった。
他人の子どもに注意ができる大人なんて見かけないし、それどころか、現代社会では大人同士のコミュニケーションすらまともに取れない。
困っている人を見かけても、何もせずに立ち尽くすのが現代社会。
せめて、もう少し、周りの人を思いやって行動できれば。
大人を見ても子どもを見ても、こう思うことは凄く多くて。
どんなことでも、考えるだけじゃなくて、外に出さないと伝わらない。
ゲームやネットの普及も、地域社会を殺してしまった。
今の子どもは外を走り回るんじゃなくて外でゲームをする。
小学生において、携帯ゲーム機はスクールカーストをそのまま反映する。
スマホを持つ年齢も、大体スクールカーストをそのまま反映している(特に女子)
持ってないとはぶられるから、親にねだる。
親は自分の子どもがかわいそうな思いをするのが嫌だから、買い与える。
ネットの中は、大人の目が届かないところ。
届いたとしても、すぐには叱られないし、なかったことにすることもできる。
ほんと、使い方を知らない子どもがネットを使うのは怖いよね。
じゃあ誰が使い方を教えるの?学校?家庭?
どこ?
地域教育がなくなってしまった今、このままの環境が続けばまともな教育は出来ないと私は考えている。
私もいわゆる「ゆとり世代」なので、考えが甘いとは思うけど。
死んでしまった地域教育を少しでも揺らすために、「塾」という場所があり、私がいて、日々褒めて叱ることが仕事なのだと考えれば。
少しだけ、やる気が出てくるよね。笑
発信しないと揺らせないから。
これからも発信し続けます。
死ぬかもしれないけど、
記録と記憶に残れば、
それだけで本望。




