私は、2019年〜2020年辺りに、強迫性障害になってしまいました。
でもその経験のおかげで、気づきが深まり、今ではこの経験があって本当に良かったなと思っています。

強迫性障害とは、実際にはありえない事柄や状況に対する不安感に、それが不合理でバカバカしいと分かりながらも過度にとらわれ、その不安を解消する為に一見無意味で過剰と思われるような行動を繰り返す病気です。
代表的なものは、不潔恐怖(潔癖症とも言われ、手や体の汚れが気になり、何度も洗わないと気がすまないなど)、確認行為(確認強迫とも言われ、外出や就寝の際に、家の鍵やガスの元栓、窓を閉めたか等が気になり、何度も戻ってきては執拗に確認するなど)などです。

私が特に酷かったのは不潔恐怖でした。

私はまずヨガ哲学への強迫観念があり、更にそこへ当時の彼に別れるなら自殺すると言われたことがきっかけとなって、強迫性障害になってしまいました。
そしてコロナ禍の最初の自粛期間でヨガレッスンも全て無くなって毎日家から出ない生活が続いた時、一番酷くなりました。

ヨガ哲学への強迫観念については、まず、ヨガの経典「ヨーガ・スートラ」に書かれているヨガの目的「心の作用の止滅」(心を静かにしてシンプルにモノを捉えることで本質に気づくことができ、何事にもとらわれない自分がいることに気づき、心配事も不安も無い満たされた幸せな時間が訪れる、というもの)に、逆にとらわれてしまったことから始まりました。
ヨガインストラクターだから、ヨガ哲学の教えを守らなければならない、という義務感から、心配事や不安があってはならない、いつでもどんなこともポジティブに捉えなければならない、と強迫観念になってしまいました。
本当は、心の作用の止滅に到達する為に、ヨガの瞑想やポーズや色んな修行があって、それはすぐに到達できるようなものではなかったのに、未熟な私はそれもよく理解できないまま、ヨガインストラクターになったからと、そのワンクッションを置かずにいきなり無理矢理心を止滅しようとしてしまったから、おかしな方向にずれていってしまいました。
また、ヨーガ・スートラのヨガ八支則(とらわれから解放される為の八段階の方法)のニヤマ(生活の上で実践すべき教え)の中の、特にシャウチャ(清浄:考え、体、環境を清らかに保つ練習)にも、すごくとらわれてしまって、それも強迫観念になっていきました。
そして強迫性障害になりかけていました。

そしてその頃、当時の彼から、「いつもヨガの話ばかりされるのがずっと辛かった」と言われ、「それならお互い辛いのでお別れしよう」と伝えたところ、「別れたくない、別れるなら自殺する」と言われ、私のせいで自殺、というワードを聞いてから、自分もとても不安定になり始めました。
自分のせいで自殺されたらその後もう笑顔でレッスンできないという恐怖と、彼にはうつ症状があり、それを「ヨガで治してほしい」と言われていた為、ヨガで人の役に立ちたいと思っていたこともあり、当時の私には彼を簡単に見捨てることができませんでした。
その後は「彼の前でヨガや仕事の話をなるべくしない」という決まりができてしまい、生き甲斐である大切なヨガインストラクターの仕事を否定され封印され、とても辛い日々が続きました。
そして彼は精神的に不安定な状態だった為、殺されるのでは、自殺に巻き込まれるのでは、と危機感を感じる出来事が度々起こる毎日が続きました。
更に彼が暴れたり発作を起こしたりして、私の睡眠時間は短いと1日2時間ほどしか取れなくなっていきました。

そしてとうとう私は本当に強迫性障害になってしまいました。

最終的には、別れることが彼の為にもなる、自分を犠牲にしすぎても誰の為にもならないと気づき、私の父親に一緒に説得してもらって、なんとか無事に別れることができました。
でも別れてからも私の強迫性障害はなかなか治りませんでした。
(その2へ続く)