なにもかも大変だった新人時代🏥
でも、不思議と辞めたいと思ったことが、
ほとんどなかったわたし。
泣くこともあったけど、
そう思えてたのは、みんなが優しかったし、
可愛がってもらい、
たくさんフォローしてもらってたから、
と、あとになり気づく。
1年目のとき、
2つくらい上の若者が入院してた。
初めて行ったスノーボードで、ジャンプに失敗して、
脊損(脊髄損傷)になってしまった。
かなり衝撃を受けたわたし。
なぜなら、スノーボードをやってみたいと思っていたから。
一生懸命、わたしなりに看護していて、
よく話すようになる。
『俺さー、スノーボードやるか、バイク乗るか迷ってたんだよね。
でも、俺、バイク乗っても、多分こうなったと思う』
当時のわたしは、なんて答えたんだろう。
記憶にはないけど、
大事なことを話してくれた気がした。
『俺さー、こんなふうになったじゃん?
彼女と、前みたいに、セッ◯◯できないんだよね。
どうしたら、悦んでくれると思う?』
……、恋愛経験も少なかったわたし。
ない知恵をしぼり、一緒に考えたなぁ😅
彼は、自立したいと言っていて、
その後、一人暮らしをしていた。
排泄も自力でできないから、
摘便・導尿をできるようにリハビリした。
車も1人で運転していた。
車椅子から車への乗り降りも、
お手の物だった。
褥瘡ができたり、
尿路感染で何回か入退院していたけど、
いつも明るくて、元気だった。
強い人だった。
こころも、とても優しい人だったのだと思う。
当時は、紙のカルテだったから、
夜勤のたびに、カルテの一番上に、
その患者さんの名前を書いていたから、
今も覚えてる。
特に1、2年目のときの患者さんとのやりとりは
すごく覚えてるなあ😌
わたしは、彼を患者さんというよりも、
1人の人として、尊敬していたのだと思う。
その後、車椅子バスケットをしていると
聞いたけど、
今は何をしているのかなぁ❓
元気にしているといいなぁ。
何気なく話す会話。
本当にそれが好きだったと思い出した。
そういうわたしで良かったんだって、
最近やっとわかった。
忙しいから、ちょっとした時間なんだけど、
患者さんにも、◯◯ちゃん!って、
呼ばれて(新人あるある笑)、
楽しかったなぁ。
スノーボードは、
その彼にも相談して、
その冬デビューしました🏂
『◯◯ちゃんは、やればいいよ。
俺みたいに無謀なことしなければ、大丈夫。』
毎シーズン10回は、雪山に行き、
インストラクターにまで、なろうとしてた!🤣🤣
✨何かしたい!やりたい!
その気持ちを自分が自分で叶えてあげるって大事。
人の目、親の目、社会の目が怖かったけどね。
また、ブログ書こーっと💕