勉強ができることだけが唯一の拠り所であったAは、当然のように開成中学から開成高校へ
と進学。しかしテストでいい成績が取れなかったことがきっかけで家庭内暴力を振るうようになる。
父母に対して「低脳夫婦」と罵声を浴びせ、手あたり次第にものを投げつけるようになった
Aに手を焼いた両親は、彼を精神病院へ連れて行く。そこで薬物療法や電気ショック療法が
試みられたが、一向に快復せず、「俺は夏休みもなしに勉強してきたんだ。俺の青春を返せ!」
などとわめきながら父親に刃物で切りかかるなど、彼の症状はエスカレートする一方であった。
思い余った父親はAの首に手をかけて絞殺する。その後浜名湖に向かい自殺を試みるが死にきれず、自首をした。
昭和53年2月16日東京地裁は父親に対して懲役3年・執行猶予4年の判決を下した。
母親は7月2日にAの部屋で自殺した。
