ここのところ相撲は
フランス興行などを成功させ
日本国内でも相撲人気が再燃し
いかにも順調に見えるが…
外面ばかりで中身がまったくない!
まず、土俵だが
「女性があがってはならぬ」
などと話題になったこともあるが
本来、天皇ですら
その"領域"に入ることは赦されず
土俵という領域に入ってよいのは
相撲取りと行司のみである。
もともと土俵は
日本の五穀の女神
"ウケモチ(保食)神"
もしくは
"イザナミ(母)神"
を表す。
ウケモチ神の話とは
別名オオゲツヒメと云い
日本神話の中で
暴れ者の神スサノウとの関わり
に出てくる。
オオゲツヒメは
無尽蔵に食糧を生み出し
神々にご馳走を出していた。
ある日、
腹を空かせたスサノウが
オオゲツヒメと会い
ご馳走を用意するのだが
スサノウは突然!オオゲツヒメを
斬り殺してしまう!
「この無礼者!」
それは、オオゲツヒメが食糧を
口や鼻、陰部や肛門から
取り出していたのを見ていたからだ。
しかし、遺体の頭から蚕が
両の目からは稲が
両の耳からは粟(あわ)が
鼻からは小豆が
女性器からは麦が
尻からは大豆が誕生した。
これが日本の五穀の誕生の話である。
もう一方の"イザナミ"神の話は
日本の主要な神々を産んだイザナミは
最後に火之神を産み焼け死んでしまう。
日本では神の国は天にあり
人も神も死ぬと
地の世界にある冥界に逝く。
イザナミが地の世界、冥界に逝くと
冥界を司る神がいたのだが
母神イザナミが訪れたことで
冥界を司る神はイザナミに
冥界の神の地位を譲り
イザナミは地の世界、冥界の神となる。
夫のイザナギ神はイザナミが亡くなると
淋しくなり、イザナミに逢いに
地の世界、冥界に向かう。
そこで、イザナミに出逢えるのだが
イザナミの美しかった顔が火傷でただれ
一歩引いてしまう。
すると!
「命に変えてまで神々を産んだのに!」
と、イザナギを魑魅魍魎を連れ
追い掛けてきた。
イザナギは悪霊払いの力のある
桃の身を投げつけ、何とか逃げ切る。
ちなみに、豆まきの風習は
ここから来た?ともされる。
それから、日本で起きる地震や火山噴火
など地にまつわる自然災害は
"イザナミ神の怒り"
から来るものとされ
「相撲取りの"四股"は、このイザナミ神の
怒りを鎮める儀式としてある」
日本には、少なくとも縄文時代から
"人は地から生まれ地に還り
また地から甦る"
という死生観があり
これを元に、ウケモチ(オオゲツヒメ)や
イザナミ神の話は作られた。
相撲とは「五穀豊穣」と「子孫繁栄」の
儀式を中心としてその所作が形成され
そもそも相撲取りが太っているのは
妊婦の身代わりであり
相撲には基本的に"勝ち・負け"はない。
白い日が生まれると書いて"白星"
黒い日が生まれると書いて"黒星"
いわゆる陰陽道で
白星は例えば昼、黒星は夜を表し
昼が善くて、夜が悪いというわけではなく
昼があるから夜があるように
相撲も黒星だから負けではなく
黒星の相撲取りが
わざわざ
"災いの身代わりになってくださった"
と解釈する。
また、土俵のはじまりは
織田信長とされるが
元々は中国の道教の考え方で
"禹歩(うふ)"
というのがある。
禹という王様が自分の国が地の災いで
荒れ果てた時、中国に古来から伝わる
"地位ある者が地をすべて歩けば
災いを鎮められる"
という話を実践する。
禹は自分の国すべてを踏み締め終わると
立つことすら出来なくなったが
禹の国は災いから立ち直った。
この時、禹の最期の歩き方が
腿すら上がらず足をするように歩いたさまを
"禹歩"と呼び、それが日本に伝わると
"摺り足"となった。
この禹王の話のキモは
王様の地位にある者が国民のために
自分を犠牲にがんばれば
国民はついて行く!というもので
中国の道教の中心的考えとなる。
禹歩…摺り足には
北斗七星を足で書いて
その地を神聖なものとする所作があり
地位ある者が足で円などの
仕切りをすることで
その場を聖域とする考え方があり
相撲の土俵のはじまりも
ここから来るもので
だからこそ、土俵には天皇ですら
上がることは赦されていない。
土俵とは、ウケモチの身体そのもので
イザナミの住む地の世界であり
母、そのものでもある。
こういうことをちゃんと知っていれば
女性だから云々とか関係なく
総理大臣だから、フランスの首相だから
なんて関係なく
"子のいる母の腹を踏むなど
あつまてはならない"のだ!
また、地震などの災害時
相撲取りは全員で被災地に行き
"四股を踏む"
これを本来"相撲"と呼ぶ!
今の相撲など相撲ではない!
相撲ゴッコだ!
