§心の天秤 7
社は俯きながらも早足でロケバスに向かうキョーコを見つけ、息を吸い込んだ。
「キョ・・」
「最上さん!!」
「!・・蓮!?」
「!」
社が声をかけようとした瞬間、蓮の声が二人の動きを止めた。
「お前っ撮影は!?」
「琴南さんが話しをつけてくれて・・・こっちに行くようにと・・・」
「そ・・そうか・・・あっ!キョーコちゃんっ」
二人のやり取りを振り返り、呆然と見ていたのだがキョーコは今のうちとばかりに逃げ出しそうとした。
その背中に、社が慌てて声をかけ蓮は一気に社を追い抜いた。
「最上さん!話しをさせて」
蓮の声でキョーコは、足に釘を打たれたようにその場から動けなくなった。
社を追い越し、蓮はゆっくりとキョーコの側に向かった。
「・・蓮・・・ちゃんと二人で戻ってこいよ」
後ろから聞こえる言葉に振り返ることなく頷いた蓮を見送ると、社はその場を二人っきりにすることにした。
「・・・・最上さん・・・」
背を向けたまま振り返ろうとしないキョーコに、蓮の低い声がぶつかると細い肩がビクリと揺れた。
「最上さん・・ごめん・・」
「な・・・なんで・・・敦賀さんが謝るんですか?」
蓮の謝罪に振り返ることも出来ないままキョーコは、震える手で口元を隠しながら何とか笑顔を作って誤魔化そうとしたが上手くできなかった。
少しだけ口角を上げて振り返ったキョーコの頬がフルフルと震えているのを蓮はじっと見つめ、その肩を優しく掴んだ。
「最上さん・・・こっちを向いて・・」
肩を掴んだ手に少し力を込めて、キョーコを振り返らせようとしたのだがそれをキョーコは体に力を入れることで拒否した。
「だめ・・ですっ・・いま、すごいひどい・・かおで・・」
ズッ・・・と小さく鼻を啜る音が合図だったかのように、蓮はさらに力を込めて少し強引にキョーコを振り返らせた。
キョーコの顔は涙で濡れていて、目元も頬も鼻の頭も赤く染まっていた。
「ひどい・・って・・いった・・のにぃっ」
嗚咽交じりに両手で顔を隠し、そう訴えるキョーコの手首をそっと掴んでその顔から手をどかせた。
「ごめん・・・最上さん・・・泣かないで」
「っつ・・・ないて・・ませんっ・・目が・・痛いだけですっ」
ここにきてもまだそんな風に虚勢を張るキョーコに、蓮の胸の内が愛おしさで一杯になった。
「俺のために・・泣かないで」
「ちっちがいます!敦賀さんのためじゃ・・」
「じゃあ・・・誰を思って泣いてるの?」
じっと深い色の瞳がキョーコの心の奥底まで覗き込もうと見つめてきた。
その視線にキョーコは、ぐ・・っと黙りそうになったが顔を背かせて咄嗟に嘘をついた。
「目が・・・目にゴミが入っただけです・・・」
「・・・そう・・・俺は君を想って泣きそうだよ?」
みえみえの嘘を正すことなく、返ってきた言葉にキョーコは涙を止め逸らした顔を蓮に向けた。
そこには悲痛な面持ちでキョーコを見つめる表情があった。
「君が・・・俺以外の誰かを想ってさっきのシーンをやり通したと言うなら・・・苦しくて・・泣いてしまいそうだよ・・」
あまりに正直な言葉たちと表情に、キョーコは驚きを隠せずに先程まで涙に濡れていた瞳を大きく見開いた。
「君が・・・誰かを想って・・・そいつのためにこんなに苦しい涙を見せるなんて・・俺には耐えられない」
そう吐露したと同時に、蓮はやんわりと握っていたキョーコの手首を両方一気に引き寄せ自分の胸の中にキョーコを飛び込ませた。
冷たい風がキョーコの髪を攫ったが、直ぐに蓮の温もりの中に納まった。
細くしなやかな体を蓮はぎゅうっと抱きしめ、冷たくなった耳元に頬を寄せた。
「俺は・・・『有理』は君だと思いながらずっと演じてたんだ・・・なのに・・・」
蓮はさらに苦しさを分け与えるようにキョーコの体をぎゅうっと抱きしめ、声を絞り出した。
「さっきの君の演技が・・・『美沙』じゃなくて君自身の気持ちが込められているんじゃないかと思った途端、正気じゃいられなくなった・・『敦賀 蓮』でも『小崎』でもいられなくなったんだ・・・」
「つるが・・・さん?」
頭の上から響いてくる声が微かに震えているような気がして、キョーコは投げ出されダラリと落ちていた手をそろそろと上げ蓮の背にしがみついた。
その感覚とすぐ側にある小さな旋毛が愛おしくて、蓮はそっと唇を寄せた。
「・・・聞いてもいい?」
蓮の声がさらに近くなり、キョーコの心臓は痛いほど大きな鼓動を立てた。
「な・・なんでしょうか?」
「・・・・泣いている本当の理由・・そろそろ教えて?」
「いっいまさら・・・」
「今更も何も・・まだ何も伝えてないし、何も聞いてない」
「わ・・私の心の天秤をグラグラにしておいてっ」
「それなら俺はとっくの昔に、君に粉々に壊されました」
「偉そうに言うところではありません」
きゅうっと抱きしめあったままそう言い合ううちに、キョーコの泣き顔はいつも通りに戻っていた。
蓮は少し腕の力を緩めてそんなキョーコの顔を覗き込んだ。
「ああ・・折角可愛かったのに・・・」
「あんな顔が可愛いなんて、敦賀さん趣味悪すぎです」
「そんなことないよ、俺のために泣いてくれたんだろう?その顔は俺しか見ていないんだから・・俺しか知らない君を可愛いって思ったんだけど?それが趣味悪い?」
あまりにストレートな言葉たちにキョーコは真っ赤になって、言い返そうとしたが口はただハクハクと空気を吐くだけで何も言えなかった。
「最上さん」
「も、もうっわかりましたから!悪趣味じゃないですっ」
「好きだよ」
「わか・・・え?」
「君が好きだよ」
「っっ・・!」
キョーコはフルフルと頭を振ったが、少し緩んだ腕にまた力が込められその動きを止められてしまった。
「君が好きだ・・役者なのに演じている君の中に俺じゃない誰かがいるのかもしれないと思っただけで嫉妬に狂いそうになるくらい・・・大事な後輩としておきたかったのにそれを自ら投げ出すくらい・・君の心の天秤と同じように俺の心の天秤は君に傾いたままもう元に戻せないんだ・・」
肩を震わせ始めたキョーコの頭を見つめ、蓮はワザと少しおどけたそぶりで続けた。
「そこで提案なんだけど・・」
また涙で頬を濡らした顔を上げたキョーコに、蓮は優しく微笑んだ。
「傾いた天秤同士をくっつけない?」
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