出会った面白いもの

出会った面白いもの

今まで出会った面白いものを紹介をして行こうと思います。

目世の中のいろいろなことがありますよね。
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今回は僕が初めて海外旅行に行ったときの
思い出を綴ろうと思います。



僕のお袋は3人姉妹なのですが、
当時、いとこがアメリカの大学に通っており、卒業式に出席しようということで、

3人姉妹と一番暇そうな僕が荷物持ちで一緒に行くことになりました。



僕は海外旅行が初めてで、右も左もわからず飛行機に乗り込む前から緊張していました。


まず、お袋に言われたのが、


「とりあえず、入管のときに目的を聞かれるから、サイトシーンって言いんさいよ」


「・・・そんくらい知っとるわ!」


と言いつつ機内の中ではサイトシーンを心の中で復習していました。



いとこの通っている大学はボストンなのですが、
卒業式の前日まではロサンゼルスとニューヨークで観光をしようということになりました。



機内で必要書類に色々と記入し、ロサンゼルスの空港に着きました。


何も悪いことはしていないのですが、税関のゲートを通るのは緊張しており、お袋の後ろにピッタリ並び税関を通り抜けようとしました。


しかしその時に僕だけが止められてしました。


心臓が口から飛び出すくらいドキッとしてしまい、

黒人のでっかいオッサンは何やら英語で話してくるのですが、何を言っているのかさっぱりわからないのと、

止められてしまった事にテンパりまくり、



「サイトシーン!サイトシーン!」


と僕は連発していました。


黒人のオッサンはいろいろ何やら言っていたのですが、僕に難しい英語は通じないと判断したのか


「アーユージャパニーズ!コンプリート!コンプリート!」


と言ってくるのですが、それすら聞き取れずあたふたしていました。


とうとうあきらめたオッサンはジェスチャーとゆっくりした英語で


「GATE A GO OK?」


と何かが書かれた紙を手渡してくれ、ゲートAに向かえと言ってくれました。



とりあえず、ゲートAに行くしかないと思い、不安一杯のまま僕は一人でゲートAに向かいました。


ゲートAには、映画で出てくるようなポンチョを羽織り、年季の入った髭と鼻毛をたずさえたメキシコ人ッぽい人や、からだの3倍以上の荷物を背負っている人など何かしら問題を抱えている方々の集まりでした。


余計不安になった僕は、ゲートAの窓口へ直接行くことが出来ず、周りウロチョロしていると、
ゲートBの方から日本人スチュワーデスがこちらに向かって歩いてきました。


助かった!この人に聞くしかない!と思い


「すいません。困ってまして、助けてください」


とお願いすると、彼女が


「I'm Korian」


韓国人のスチュワーデスさんでした。


彼女は親切な方で、状況を理解してくれ、機内で書いた書類に問題があることを
教えてくれました。



僕は自分の出身国欄に、なぜかロサンゼルスと記入しており、
それが原因でゲートを通れなかったようでした。


彼女は修正した書類を、ゲートAの窓口まで一緒に付いてきてくれ、
窓口のスタッフに


「He is No English」 「Ha Ha Ha」


と笑っていました。


何とか税関を通り抜ける事ができ、2時間遅れで母親3姉妹と合流しました。


「あんたアホじゃろ」

とお袋につめられながら、いとこの待っているホテルにタクシーで向かいました。



その後、待ちかまえる波乱に、この時は誰も気付いていませんでした。


つづく


今回は、上京したてだった当時19歳の頃を思い出して
出来事を書こうと思います。


僕が広島から東京へ上京して、しばらくたった頃のお話ですが、
大学1年の最初の頃ということもあり、まじめに大学へ通っていました。


大学の授業が終わって、家に帰ろうとしていたら、
携帯に親父から電話がありました。


実は、僕の親父は、若干変わり者です。


飼っていた柴犬の散歩がてら、ジョギングしてくるといって、
42キロ走っちゃう感じの人です。


犬の名前はロクという名前なのですが、
ロクは楽しい散歩のはずが地獄のマラソンとなり、犬としての持ち合わせる持久力の限界を超え、
一歩も動くことが出来ず、結局、家までタクシーで帰ってくるという

よくわからない状況となっていました。


そんな親父が


「山、登ろう!」


「なんでぇ~、めんどい」


「お前、山はロマンの塊なんで」


「そーゆーもんなん?」


僕は登山なんか、小学校の遠足以来、行っていなかったので、
まぁ、行ってもいいかなと思っていました。


「まぁ、行ってもいいよ」


「ほいじゃあ、明日行こう!」


「明日?どこに行くん?」


「長野県とか行けば、山は一杯あるじゃろ!」


「えー、ノープラン?」


「ちなみに、親父今どこおるん?」


「広島!」
「明日9時に長野集合!それまでに山は決めとく!」


「え?現地集合!?」


なんだかんだ、言いながらも親父と山登りすることになりました。



小学校の遠足で行った簡単な登山をイメージしていた僕は、
この後、命の尊さをはじめて知ることとなりました。



当日長野の駅に集合した僕と親父は、戸隠山(とがくし)という山に行くこととなりました。


ちょうど、台風が接近中で天気は悪く、雨は降っていなかったですが、風は強めでした。


僕は明らかに遠足気分で、Tシャツに薄手のネルシャツ、短パンにスニーカーという
ちょっと吉野家に牛丼食べに行くくらいの格好でした。


戸隠につくと、めっちゃ太い木がどっしりと立ち並ぶ並木道を進みました。


「天気は悪いけど、気持ちは良いな・・・ん?」


この日初めてのサプライズに遭遇しました。


立てかけられた看板に、



「鈴木●● 34歳 175cm位 3月~入山後戻ってきていません。
発見された方は、管理事務所までご連絡を」



「ちょいちょいちょい!!」
「親父、大丈夫コレ?」


「・・・大人には色々あるんじゃろ」



若干というか、だいぶ不安になりつつもう少し進むと管理事務所があり、


「こちらの名簿にお名前と住所・連絡先を記入してください」

と係りの方が名簿を手渡してくれました。


遠足気分だった僕は、山登りで名前なんか書いたことは無く、


「え?山に登るのに名前が必要なん?そんなに危険な山なん?」


「わしも初めてじゃけぇ、よーわからんは・・・」


ここにきてまったく頼りにならない親父。。。


係りの人は、
「台風が来ているので、無理せずに危険と感じたらすぐ下山してくださいね」


まー、確かに台風が来ているのに、登山すること自体が危険だよねと心の中でつぶやきました。


続けて係りの方は
「特に落石と陥落には充分注意してくださいね」


「・・落石?・・陥落??・・・どんな山???」


危険な匂いを感じ取り、すでに帰りたくなっていた僕を尻目に親父は登山道を進み始めました。


最初はなだらかな山道で、風景を楽しむ余裕はありました。


しかし、ちょっと足場に変化が出だしまして、これまでなだらかだった道も、
大きめに岩が混じるようになり、1時間ほど進んでいくと、だいたい岩になりました。


それでも進んでいくと、もう岩でした。


岩に鎖が打ち込んであり、山登りから岩登りになっていました。


親父が先頭になり、鎖のついた岩を進んでいたのですが、

ズサーっと親父が足を滑らせ、岩と岩の間にあったちょっぴり大きめの石を
僕めがけて落としてきました。


まず、生まれて初めて落石を経験しました。


若干、親父のドン臭さに苛立ちを覚えつつ何とか中間くらいまでを突破しました。



登山後半に入ると、風が尋常じゃなく強く吹きだしてきて、霧もでてきました。


それでも進んで行く親父に戻ろうと言っていたのですが、


「そろそろ、危険と感じる時なんじゃないん?」


「こんなんで危険って言っとったら、何にもできんじゃろ!まだ行くで!」


どんどん強くなる風にビビリながら、この日一番危険そうなデカい岩にたどり着きました。


傾斜角度が半端なく、10mはあったとおもいます。

ちなみに晴れてたらこんな感じです。



出会った面白いもの



風は強いし、霧で鎖が濡れててすべるし、ネルシャツが薄くて寒いし、少し泣きながら上った記憶があります。

恐怖心と格闘しながら、必死の思いで、なんとかのぼりきった僕の見の前に現れたのは、





「智子、安らかに眠れ」





と書かれたプレートと花束でした。



僕はもう駄目でした。



生まれて初めてリアルに安らかに眠れというキーワードを見ました。




その大岩を超えて少し進むと、最大の難関「蟻の戸渡り」という幅50cm位しかなく
両側面が断崖絶壁になっているところに出たのですが、
台風の影響で、両サイドから雲が下から上へと吹き上がっていました。


さすがに親父も危険と判断し、下山をしたのですが、


僕の心は智子のくだりで折れてしまっていたので、帰りの記憶がほとんど残っていません。


唯一残っているのが、登山恐怖症です。



あとでわかった事なのですが、


『戸隠山は毎年遭難による死者が出る脆く崩れやすい上級者向け岩山で、
特に「蟻の戸渡り」は大変に危険である。
登山の際は単独行は避け、出来ればガイドと共に登山するのが望ましい。』


と書いてありました。。。


ちなみに晴れてたら、こんな感じのとこです。


出会った面白いもの


不意に命の尊さを実感した経験ですが、
みなさんも是非一度、戸隠山へ行ってみてください。

何か昔の思い出を思い出す時、何か、二十歳にいろいろあったような気がします。


今回の思い出は、当時住んでいたアパートでの出来事を書こうと思います。



僕の住んでいたアパートは高円寺駅から5分位のところにあって、
バイト先の新宿にも近いということで、よくバイト先の先輩が酔っ払って押しかけてくる事も、まぁ、よくありました。


ちなみに、プロフィール名のホイスト105はそのときのアパート名です。


僕は、ホイストの105号室に住んでいました。



その当時、僕は大学2年生でしたが、朝11時~夜11時までのバイトをしてました。
なので、大学の思い出がほとんどありません。。。


そのバイト先の先輩で、永井さんという人がいまして、東南アジアから出稼ぎに来ている外国人みたいな顔つきの人でした。


僕も直接話しをする前までは、本当に外国の方と思い込んでいたので、初めて話をしたときに、


「えっ!日本人なんですか?」


と失礼きまわりない事を言ってしまったことを今でも鮮明に覚えています。



本人曰く、先祖代々生粋の埼玉県民だそうです。
また、先祖は墓荒らしを生業にしていたそうなのですが、

僕の祖先は墓守をしていたので、

「墓荒らしと墓守の子孫が一緒に料理作ってますね」

と、なんだかうまいことを言った事も今、思い出しました。



一緒に仕事をして、仕事終わりに飲み行ったりしているうちに、
永井さんと仲良くなって、結構遊ぶ機会も多くなっていました。


よく遊んでいたのは、日本人離れした「永井さん」、大学の先輩「オギさん」、めっちゃイケメンなんですが、のんべえの「イシ君」でつるんで遊んでました。


そんなある日の深夜、僕はバイトが休みの日で、夜の2時位だったと思いますが、
そろそろ眠りにつこうとしてました。


そんな時、


「ピンポーン」


と家のベルがなりました。


こんな遅くに誰だろうとのぞき窓から外を見てみると

上半身裸でマッスルポーズをとっているオギさんとイシ君でした。


「なんすか~」


とドアを開けた瞬間


僕は体を抑えられ、アイマスクを付けられ、口を押さえられて車に押し込められました。


そして、永井さんらしき人の声で


「君には、山か、海か、どちらかを選べる権利を与えます」


といわれました。


僕は


「山」


と答えました。


僕は両手両足を縛られ、アイマスクを付けたまま、どうやら山に連れて行かれるようでした。


3人の拉致犯たちはゴニョゴニョと


「山ってどこいくよ」(永井さん)


「俺海に行くつもりだったから海パン持ってきたのに」(オギさん)


「とりあえず飲も」(イシ君)


僕は、とりあえず、この人たちは暇だから車でどこかに行こうという事になって、ついでにアイツも拉致って行こうって事になったんだなと悟りました。


しばらく車にゆられて僕の手足が解放されたときには、辺りは明るくなっていて、道路標識には秩父と書かれていました。


僕は、寝巻きの短パンとよれよれTシャツ姿で、秩父の川沿いに立ち尽くしていました。


イシ君だけ酔いつぶれてました。


永井さんが


「とりあえず泳ぐ?」


みたいなノリで、4人仲良く泳ぎました。


僕は何の用意もしていなかったので、パンツいっちょで泳ぎました。


ある程度泳いだ後に、帰ろうかということになり、埼玉県の戸田にある永井さんに家に行くことになりました。


永井さんの家に着いたのは、午後1時位で、なぜか、そこから約18時間位ぶっ続けで飲みました。


その飲んでたときの記憶は正直ほとんどありませんが、僕はトランプを持って、オギさんはunoを持って
不思議なゲームをしてた記憶は残ってます。


なんだかんだ、朝まで飲んで、どうしてもその日、大学の授業に出ないといけなかったので、
みんなはつぶれている中、僕は一人で帰る事になりました。


拉致られたので、財布も靴も持ってきて無かった僕は、オギさんの財布から500円借り、永井さんの家のトイレのスリッパを借りて帰ることにしました。


泳いでいたときにはいていたパンツは永井さんの家に忘れました。(いわゆるノーパンです)



最終的に予想外だったのは、朝の埼京線ってめっちゃ込んでて、みんなにじろじろ見られました。

どう見ても、服も着替えず寝ぼけたままどこかに向かう若者が電車に乗っているという状況でした。



前回の渋谷で捕まった話と、同時期の思い出ですが、
僕が高円寺で一人暮らししてた時に同居していた友達との話をしようと思います。


僕の中学校時代からの友達で、
「松」が急に広島から東京に来たのはちょうど二十歳くらいのときで、裸一貫(Tシャツ2枚くらい)でいきなり僕の部屋に転がり込んできました。


松という奴は昔から無茶をする子でした。(歩道橋から車に向けてロケット花火を打ち込むくらいの無茶をします)


彼が僕の部屋にいた期間は3,4ヶ月くらいだったと思いますが、
毎日修学旅行の夜のような感じで過ごしていました。


毎夜の恒例行事は「肛門クイズ」です。

表現は悪いのですが、非常にエキサイティングで楽しいクイズなので、みなさまにお勧めです!


内容はどちらか寝静まったころに開催され、
下半身を生まれたばかりの状態にし、
やすらかな寝顔の前に、まずは中腰でお尻をセットします。


そこでいきなり・・・・・


ティリン♪

「第一問 俺の親父の名前は何!!」


ティティティティブーーーー!(考える時間は2秒くらい)


ディーディンと一段階腰を落とす
(無事着地するまで続く)


こんなことを日々やっていました。


おかげで僕は彼の両親の名前や家族の名前を
意味も無く覚えてしまいました。


そんな同居生活を送っている中で、
若気の至りというか、若さゆえの過ちというか
僕たちは新宿のおねいちゃん達がお酒を出してくれるお店に行こうという事になり
意気揚々と眠らない街、歌舞伎町へと向かいました。


僕はそのころ歌舞伎町でバイトをしていたので、
若干なれもあったのですが、
その日は何かが違う雰囲気を持っていました。(おそらくソワソワしてたので)


新宿に到着して僕達は景気づけに、ちょっと一杯のもうといことで
居酒屋に行きました。


思えばその一杯が運命を左右させたのかもしれません。。。


僕は正直お酒が弱く、すぐ酔っ払ってしまうのですが、
その日は調子に乗ってビール2杯とチューハイ2杯を短時間で
飲んでいました。


よし行くぞ!と居酒屋を出たときは相当出来上がっていました。


そんな酔っ払い2人組を店の前で待ち構えていたのは、
はげ上がった前歯のない客引きのおっさんでした。


「さっ!」「日本の若者!」「次の店予約しといたよ!」と言い寄ってきました。


もともとそういうお店に行こうとして僕達ではあったのですが、
おっさんがあまりにも胡散臭すぎて、ちょっとためらっていました。


「今日入ったばっかりの若くてかわいい子いるよ~」「飲み放題!1時間3千円!最初の1時間はタダにするからさ~」「2時間でいいから!」


と言ってくるのですが、おっさんの雰囲気がぼったくりっぽいなと思い断ろうとしていました。


そうするとおっさんが、


「うちは完全前金制だから大丈夫!」

「しかも、おさわりOK!」


というもんですから・・・


「ほいじゃあ、行く」


ということになりました。


はげ上がったおっさんの後についていき、
歌舞伎町の奥のほうにあるボロボロの雑居ビルに案内されました。


エレベータで6階に連れて行かれて、
お店の名前は「パイレーツ」でした。


他のお客は誰もいなくて、
真っ黒い壁に真っ赤な円状のソファが2つありました。


前金制ときいていたのでカウンターでボーイの人に3千円払おうとしたら、


「テーブルで女の子にわたしてください・・・」


というので、


2人でテーブルに座りました。


しばらくすると

女の子がやってきました。



女の子???



い~や!


女の子といってはいけない位、お歳を召されたおばちゃんが来ました。


おばちゃんは僕達の対面にドンと座り、


「じゃあ、お金!」


すでに僕達は驚きを超えて、なすがままになっていました。


もう、早く帰りたいオーラを出しながら、3千円出して帰ろうとしましたが、


「こんなんじゃ~足らないよ!」


「えっ!なんでですか?」


「入場料だけで3千だよ!」


「えっ!」


「あと、私がここに座ったから5千円!」


「飲み物は必ず頼まないといけないから!ビールは5千円ね!」


「でも飲み放題って。。。」


「お金さえ払えば飲み放題よ!」


「ちなみに、うちの店はコースターも有料だから!」


「あと、おさわりもいいけど高いよ・・・」


「ひ~、、、もう帰ります!!!」


「あんたの友達2千円しか持ってないじゃない!あんたが立替な!」


「おおおお前!!!」


結局、僕は一人で財布に入っていた小銭含めた全財産(4万円近く)払い、松は2千円ですみました。。。


電車で家に帰るお金も無くなってしまったので、高円寺まで歩いて帰ることになったのですが、
なんだか、東中野あたりで楽しくなって、2人で尾崎豊メドレーを大きな声で歌いながら帰りました。



今回、僕が言いたかったことは、前歯の無いはげ上がったおっさんの客引きには気を付けてくださいということです。




二十歳はもう10年前か~、と感傷しつつ、
今回は若かりし自分の思い出をつづらせていただこうと思います。


当時、世の中はテレビで何度も取り上げられるほどのパラパラフィーバーの時代でした。


そんな折、東京に一緒に出てきていた、中学校の同級生がクラブにいこうと言うので、
渋谷のエイジアというクラブに行くことになりました。


当時、僕はクラブと名のつくもの程遠い存在で、
(以前大学の先輩に生まれて初めて連れて行ってもらったクラブがバリバリのロカビリーのクラブで、老若男女、革ジャン革パンにツイストを踊るといったものだけでした。正直、上京したての僕はこれがクラブのスタンダードだとしばらく思い込んでいました)


僕のパラパライメージは、物凄い格好のギャルやギャル男がいりみだって
何かもう伝えづらいですが、非常に楽しい感じで


う~ワッショイ!!!みたいなイメージを持っていました。


僕もついにパラパラデビューかと胸躍らせてついて高円寺から渋谷へむかいました。



ドキドキを抑えつつ、入り口前のこわもてお兄さんに身分チェックをしてもらい、やけに大きく感じる重い扉を開きました。


しかしその先には・・・


何だか、語尾にYoがつくような、チェケラッチョ系のお兄さんがたくさんいました。


一瞬「間違えました」と扉を閉めたくなりましたが
何も知らない僕は「パラパラとはこういう人たちが集まる場所なんだ」とむりやり思いこみ奥まで進んで行きました。


奥へと進んでいくにつれに大きくなるHIPでHOPなMUSICは
「ここはパラパラのクラブじゃないよ・・・」と僕の耳元でささやき続けました。


それでも微かな希望を残しつつ一番奥のステージまで進んだときに
具合の悪そうなHIPHOPミュージシャンが「覚醒剤はよくないよ」とか
「今の社会は腐ってるね」とかラップ調に歌っているのを聴いて僕は全を悟りました。


あ~、これちがうわ~


そしてその時僕はパラパラには縁がないことを気づかされました。
(最初に行ったクラブがロカビリーの時点で気づくべきでした・・・)


僕はどちらかというとパンクキッズだったので、なかなか場の雰囲気になじめずというか場違いということで、さっさと帰ることにしました。


その時すでに夜の1時を過ぎていたので、電車も無く行き場に困っていました。


僕達は第1回作戦会議の結果、当時僕がバイトをしていた新宿のカラオケ屋に行く事にしました。


徒歩で新宿まで行くのはちょっと距離があるということで、
本日2度目の作戦会議を行い、
多数決の結果、自転車で行く事になりました。


もちろん僕達は自転車を持っていないので、広島にいた時のように
持ち主のいないかわいそうな自転車を探す事にしました。


そして、JRの線路脇にサドルも泥除けもない、ひとりぼっちのボロボロ自転車を見つけました。


今一度、ボロボロ自転車に自転車としての喜びを味あわせてあげようと
「レッツラどんぶり!」の掛け声とともに2人乗りをし、勢いよく新宿へと旅立ちました。


自転車をこぎ始め最初のまかり角(時間にしておよそ2分)


僕達の旅は終わりました。


ちょうど曲がり角にいた、警察官のお兄さんが僕達のスタンド・バイ・ミーを
終わらせたのです。


「この自転車誰の」っとお兄さんの質問に、

友達ははとっさに「吉田君のです」と言いました。


僕は「吉田???」誰?っと思いつつモジモジと無口になってました。


当然、僕達は警察官のおじちゃん達が沢山いる渋谷警察署という所へ連れて行かれ、指紋という指紋をとられました。


予想外だったのが、20歳にもなって親に電話されたことです。


朝5時位にいきなり警察に電話された親は、気が動転したのか、


第一声が「広島じゃないんじゃけーね!!!」


・・・広島だったら許されるのか?と思いつつ、こってり絞られました。


警察署から開放されたのは7時前でした。


物凄く疲れた僕達は空っぽでした。


通勤中のサラリーマンのお兄さんにお願いして、警察署の前でくたびれきった僕達を「写るんです」で記念撮影してもらいました。


あの時パラパラに憧れなければ、こんなことにならなかったかと思いつつ、今となっては良い思い出になりました。


余談ですが、
ひとりぼっちの自転車は1996年に盗まれた物で、川崎から渋谷まで5年の歳月をかけて持ち主に返される事となったのですが、
持ち主がもう要らないとあっさり言ってしまったので、本当に一人ぼっちになってしまいました・・・


しかし、僕はあの自転車の事は忘れないでしょう!吉田君の自転車を。