かしぱん(≠菓子パン)のブログ

かしぱん(≠菓子パン)のブログ

澄んだ水のように柔らかくなったら

Amebaでブログを始めよう!

既に夏だった頃の記憶や体感していた空気の感触を忘れかけていて、去年の冬の生活を思い出しつついる。そんな、秋。

部屋がどれだけ片付いていないかと言うと、片付ける気が失せるぐらいに汚い。何があるかをこの下の段落で列挙してみたけど、読みづらくなってしまった。

相変わらず部屋が片付いていない。机の上には大量のレシート(本当は家計簿アプリに入力して支出を管理しないといけないけどもはや捨てたい、捨てる)、調味料少しや飲んだ後放置したままのグラスや飲み終わった缶やペットボトル、いつか買った美術手帖(たしか夏に帰った時に渋谷で開いた記憶があるから9月に京都戻ってから置きっぱなし)、履修に使ったシラバス、の上にあるCDや本。
これだけがテーブルの上にあり、左の床には学部の便覧や同人誌、教科書とかプリントとかペットボトルとかコントローラーとかバスタオルとかタオルとかパンツとかコンビニのビニール袋。
右の床には卒アル、リュック、日本酒、ペットボトル2本、漫画や脱いだズボンが置きっぱなし、その先には段ボール箱(この中にまた大量のレシートがある。捨てるしかない。)


秋ということで秋刀魚を焼いて食べた。

内臓を取った。クックパッドで適当に探して、
①肛門の前方1cmくらいで5mmくらいの切り込みを入れる
②だいたい頭部の終わりあたりで背中から包丁を3/4ぐらい入れる
③そのまま頭引っこ抜くと内臓が取れる(取れなかったら手で引っ張って取る
④流水で血を洗い流す
ってやったけど、今度は内臓も食べてしまおうかなって感じ。なんか食べちゃダメなんだっけ?まあ1回ぐらいなら死なんでしょ。


http://www.ajinomoto.co.jp/yasashio/recipe/recipe69.html

というサイトを見ながら焼いたら煙も臭いも気にならずに焼けた。最初は塩をまぶし過ぎたからしょっぱくて正直食べ物にならなかったけど、2回目は美味しい。3回目もしたい。




ヨーグリーナにハマった。
安くて味がしてあっさりしていて、500ml買う時に午後の紅茶とかなんかなあってなってた自分にとっていい感じの飲み物に思えた。酒飲んだ後とか深夜にふと飲みたくなる。

ペプシストロングゼロを飲んでる
上と矛盾しているかもしれないけど気にしない。カフェイン&炭酸&清涼飲料水を求める時に飲む。ロックスターが近場から消えたので、その代わりにしている感はある。カフェイン濃いからいいね。味もそれほど気にならん。


日本酒の金平糖を受け取った。
春先に緑樹庵清水で予約しておいた金平糖。
通常あそこは1000円弱で買えるんだけど(お土産に便利)、3000円払うとこういう金平糖が買える。美味しい。徳利に入っていて、高級感が凄い。感想上手く伝えられないんで欲しい人は家に来るか持ってくるように頼んでくれ。日本酒好きな人なら気に入ると思います。
ちなみに予約するタイプの金平糖は月によって変わっていて、ワインのやつとか、梅酒のやつとか、酒ばっか覚えているけど、毎月に違う味があった。酒以外も。大学生活が8年ぐらいあったら毎年2個ペースぐらいでコンプリート狙うレベルだよ。



明日から、私も生きる、頑張ろん




アイドルのインストアライブイベント行ってきた。オタ芸を生で見る/やることになった訳だけど、ライブイベントって周りの人に合わせてしまうから、手拍子していいところ、手拍子のテンポ、自分の盛り上がり方に一々恥ずかしがってしまっていた。でも行った先のアイドルの子が可愛くて、そちらに意識を向けるようにした。歌っている時、多分僕は上手く笑えていなかったんだけど、目が合って、「オタ芸・・・凄いけど正直少ししんどいよね(笑)」みたいな苦笑いを向こうもしてくれたような気がして、救われた。
(多分僕がしてるぎこちない笑顔を見て同じ笑顔をしただけだと思うけど。)(それも違くてただの勘違いである可能性が一番高い)

とか括弧のこと考えて、アイドルオタクたちは1人1人がアイドルとナラティブを作るんだと思った。個々人が自分の思い出やアイドルの出力から部分を取り出して、時に接触イベントやSNSを通してアイドルの出力を促しながら、自分のナラティブを作る。そうして、自分とその子の物語が紡がれていく。そんなことがある、気がする。でもこれだと自分の中にある、応援したいという気持ちがまだダメだ。適当に考えたことだから仕方ない。



1人で行動することが増えた。主に曼珠院通り(一乗寺駅出たとこの通り、恵文社のある通り)のお店に通おうと思っている。近くに住んでいる人がそんなにいないから一々呼び出すってなんか申し訳ないし、何より、僕の趣味に付き合ってくれる人はなかなかおらず、そのうえ頻尿の症状は継続中なので、人といると一々気を使い使わせという関係が僕は疲れてしまいそうだから、誰かと行きたい孤独を感じても、まあ仕方ないことだ。難しいよね。
お店自体は凄くいい(本当か?)
せんなりという定食屋はいい感じ。小次郎寿司が一番行ってる。海鮮丼が美味い。今度寿司とか造りとか食べてみたいと思っている。後はここにインドカレー屋があればいいんだけど。
ネパール国旗のお店は少し高い。一番良いのは多分未だにあの店ですね。僕も人の紹介で知ったのでここでは秘密です。



パティスリータンドレスが今のところの獲物です。


痩せたい。


人に嫌悪感を抱くのを減らしていきたい。

正常な思考、正常な行動を。

将来への投資活動をしていくべきな気が少しはしているけど、未だに目の前の快楽を追い求めてしまっている。






まあ、言いたかったのは秋刀魚を食べようということでした。

あ、サバの塩焼きはコンビニでサラダチキン以上に買っています。





後から思えばこうだったとか思って書いたんじゃないかって思われたくないし、

終わる前に言うべきか。先輩として、卒業生として、関わりたくなる。その気持ちはエゴです、自分勝手です、と言われて完全に否定することは出来ない。だからと言って、開き直るのも、黙り込むのも違うと思う。伝統を守れとか思ってないし、多分状況が違う。僕は既に高校演劇という枠組みを離れたから、既に主語になりきることは出来ないのである。僕が高校演劇を語るとき、それは僕が高校生だったときの記憶を追従していて、ノスタルジーに浸りながら語っているのである。しかしそれも一側面で、ということはわかる。

わからないわからない消えてく感情夢とかそんな世界さえ愛すの。

後輩が一番変えたところと言えば、文化祭から地区大会への幹として、そして文化祭後から変えてくという手法を変えて、文化祭と地区大会で完全に演目を変えたこと。最初聞いたとき、正直ありえないと思った、けど、それは上に書いたようなものがあるからで、僕は自分の記憶が遠くへ行ってしまうことになるから、有り得ないと思ったのだと思う。
いや、違う。僕は自分がやったことが成功したから、それをして欲しかった。それを壊して欲しくなかった。まあいいや。
正直言って、今はもう別にいいやっていうか、そこまで気にしてないです。うん、悪い意味とかない。

よくやったと思います。本当に。覚悟を、彼らなりにしたと思うし、彼らなりにやったと思います。
これが青春ごっこにならなければいいと思うけど。青春ごっこっていうのは、演劇部をわかりやすい文脈に配置してしまうこと。わかる範囲で物事を理解して、その中に収めようとすること。自分の演劇部としての活動が、自分んでこういう思い出というわかるものにしてしまうこと。それはTwitterに画像をあげたり、ありがとうございましたと、当たり障りなく礼儀を全うしたり、色々思ったことをツイッターでじっくり考えて言ったり。それは自分でわかる範囲でやってると思いませんか?思わないですか、ならいいです。

僕は、わからないものに触れて欲しい。わからないものをわからないままに取り込んで、わかる範囲を増やして欲しい。僕は自分のやった劇、先輩がやった劇、後輩がやった劇、それがわかっていない。脚本を書いた人がどこまで考えてやったのかわからないけど、自分より経験のある人の書いた話を取り入れたこれまでの方法で、多分僕らは自分では理解不能なものを自分なりに解釈して演じていた。そういうことって高校生活で他に得ることが出来るか、考える。うん、色々あるわ。本読めばいいし、劇観に行けばいいし、国語の点数あげればいいし。
でもそういうことじゃない。演劇部でそれをして欲しい。わからないことをして欲しい。うーんどうしてもわかりやすい文脈で僕も語ろうとしてしまう。変えよう。

例えば、最後に感想を言い合う時、僕は言いたいことをちゃんと言えない。言おうと考えてもいなかったことを言ったりする。でもそれでいい。そこで思考がまた生まれる。知らないもの、未知のもの、得体の知れないものを自分から放出する、自分の内にあって、自分では気づけなかったものに気付く、文脈の外にあったものに気付くことが出来る。そういう機会、そういうことが言いたい。伝われ。

文化祭も地区大会も観てないから何も言えねえわ。
あ、脚本見せてもらお。それで最後数日過ごそ。

都大会に行ったらここで書いたことをぜひ鼻で笑ってください。勝ったと思ってください。
しょせん僕も何者にはなれないし、頭もよくない。つまらない人間ですから、考えていることなんてあるようでないんですよね。それがバレる。



最近思ったこと。

別に変に思われてもいいや~って思ってしまう。
別に・・・な思考が優っている。まあしばらくは続けてみます。でもこれじゃダメだって多分なるんじゃないかなって今はなんとなく思っています。部屋の片づけやるって言って何日なんもしてないんだ。決心だけはけっこうしてるし、その気持ちは嘘じゃないんですけどね。何か実際に手、身体を動かす段階になると何も考えたくなくなるし、何もしたくなくなるんですよね。不思議だ。

あと、僕は言葉に出来ない得体の知れない感情を、それでも理解したいと思います。今まで知らなかった概念を知ればそれは少しは理解に繋がるかもしれない。もしかしたらずっとそうしたかったのかもしれないなって。それは多分上手くぴったり言えることは出来ないだろうし、少し形を変えて、例えば詩的な言葉の羅列によって、達成されるのかもしれない。これは直感。

ヨーグリーナは美味しい。他の果物風味の天然水はそれほど購買意欲をそそられないけど。これを言いたかった。

Maison book girlのbathroomという曲は凄く幕開けに使えそうだなあって思いました。なんか、舞台芸術学院のあの黒い風景が浮かんできました。身体が感じる違和感がある。
最近、というか少し前にある人とした、「僕らにぽんと自由が与えられても、無限にあると思われるの選択肢の中から僕らが選べるのは、せいぜい僕らが想像出来る範囲に収まるくらいでしかない。」という話、これは中高生がよくする「こんな勉強やって将来何の役に立つというのか。将来必要な知識だけを教えてくれ」という言葉に説得できると思った。

君たちが思う将来必要な知識とは何だろうか。加減乗除は必要、一次関数二次関数は不要、三角関数なんて物好きがやるべきことで、虚数とか、因数分解とか、したい人だけやればいい。そっとしておくべきだ。そうだろうか。世界を構成するのは知っているものと未知のものだけだ。未知の範囲が広ければ広いほど、その人は世界の構成を知っているとは言えないだろう。三角関数も複素平面も世界を構成するピースに過ぎない。しかしピースが欠ければ世界は出来ない。
将来必要な知識、と言うのは、将来用いる場面が想定されうる知識である。しかし君たちは世界を想定し尽くせるのだろうか。明日自分が何時に起きて何をして何を食べて何時に寝るか、それすらも不明確である。数年後選ぶであろう進路を君は確定で知っているだろうか。いつまで生きるかわからない年月の、その日々することを把握しきれるだろうか。もし君の好きな人が高校時代の嫌な思い出で数学の授業の思い出を語りだすことはないだろうか。サークルの飲み会で紙コップに注がれる安い酒を片手に、高校時代の話に花を咲かせることがあるのではないだろうか。
「あの時は意味不明だった」「いや結局意味不明のまま何か終わった」「そんなのやったっけ。授業聞いてなかったから覚えてねえ」
不要と思われたものが、気になるあいつと話すきっかけ役を買って出てくれることはないだろうか。

正攻法で必要な知識だってある。けれども、そうじゃない、世界中であなたしか使えない使い方をする知識というものがあるのではないだろうか。何が必要かどうかなんてわからないのではないだろうか。






・・・・と、書いてみます。
ここで僕個人の話をしてみます。
僕は「こんなの必要ないじゃん」と憤った記憶がほとんどなくて、単純に「こんなに知っていたらかっこいいって言われそう」という理由で授業を受けていました。高校も3年になると受験一辺倒になったんで、出るから、使えるのが当たり前だ~って思いながらやっていたし、化学なんかは割と代々木で先に有機やっていたから、夏以降はほぼ学校は無双状態にあった。あと、要不要とか言っているけど、文部科学省が中高生に必要だって思って学習指導要領決めたんだし、きっと僕らには計り知れない理由があって教えているんだろうなあってことも思っていました。




たまにはこういう話題でだって書きます。(どういう話題だ)
正直、途中で書くの疲れたんで中途半端でやめます。ごめんなさい。
具体的に言うと、一次関数あたりは書いてて楽しかったけど、好きな人が高校時代の嫌な思い出を語り出すあたりで「いや、それって滅多にないよな~」って思い始めて、書く気力とかそういったものがなくなり始めました。

部屋が汚い。掃除しなきゃって毎日思っているけど行動に移せない。
多分太陽に当たっていないのが悪いんだと思うんで、今度出来るだけ太陽にあたっている日を作りたいと思います(行動に移せるかどうかは別問題)

今の目標『行ったことないお店にも1人で臆することなく入る。あわよくばそこで誰かと会話をする。』

よくある話です。
そうです、人生というものはよくある話で、だって今を生きているだけで数十億の人間がいて、歴史的に見れば数え上げられない程の数の人生があって、それだけのサンプルがあれば、似通った人生が多いことだってよくあることです。

あ。
朝だ。
徹夜だ。
徹夜明け。
またやった。
理想から遠い。
窓を開ける音だ。
ちゃんと寝なきゃ。
最近ずっとこんなだ。
いい生活がしたいのに。
またいつまでも起きてた。
でもそこまで後悔してない。
突発的な行動しかしていない。
それはいいか悪いかわからない。
でもこのままは良くない気がする。
少しは計画的生活というものをする。
例えば前日に明日やることを考えとく。
例えば無心でやるべきことをやってみる。
少しは欲望に抗った行動をしようと思った。
夏休みがもう半分過ぎ去って折り返し地点だ。
ここらで今一度自分が満足出来る生活をしよう。
と意識高いことを言ってみたが出来る気はしない。
どうせいつまで経っても無意味な徹夜は終わらない。
いつまで経っても後から満足出来るって日は作れない。
でもそれでも僕はそういう日を作ろうと目指して生きる。
全身全霊って訳ではないけれどそれなりには頑張ってみる。
だからたまにはそのそれなりさえも褒めて欲しいなんて思う。
新しい夜はこうして終わって新たな朝がこうして始まるんです。
それっぽく終わらせられそうだしこれで文を終わろうと思います。
参考にしたのは今はもうずっと更新されていないとあるブログです。
また更新されるのを願っていますがそれまでにまた読み直したいです。


色々過剰なんだ、多分。

「最近何やってるの?」
ここ数か月ぐらいで他人に話を振る時に迷った時とかに使う言葉だ。
でも自分に言われた時に困る言葉でもある。
だって何をやっているのかわからないような日々だから。


携帯電話を買い替えました。
バックアップをSDカードに入れといたのに新しい携帯だと開けないっぽくて連絡先が全消滅っぽいです。写真もけっこうなくなりました。自分の撮った写真だけはパソコンに移せたんですが、ネットで送られてきたのを保存してた画像だとか、この言葉は残しておきたいと思ったスクショだとか、twitterとかの各種SNSにアップされた知り合いの凄い画像だとか。まあでもそれでもいいやっていうか、いや多分中学高校の時の僕ならだいぶ焦ったしかなり落ち込んだと思うんですが、それがあろうがなかろうが物質的に大きく変わることはないなっていうか、データが消えても当たり前のように毎日が来るって思うと、別にいいやって気になってきませんかね(あまりならないよね)

先日の帰省で新宿のタワレコに行った時にtofubeatsのCDを買いました。渋谷タワレコと新宿タワレコがコラボして夏のオススメCD特集とかやっていて、それのステッカーがついていて、いいじゃ~んって気になって買ってしまいました。でもそのステッカー、パソコンに貼ったはいいけど端が剥がれかけているんですよね。悲しい。

自分のアイデンティティとか、個性というものが尊重され、自分らしく生きること、ありのままに生きることが称賛されています。小学生の時から自分らしく生きようって言われていた気がします。僕は自分ルールが割と日常で多い人でした。でもそれに厳格かというと、そうでもなく、即興的に思いついたことに従うって感じで、それが割と同じシチュエーションでは同じ発想をしていた、と考えればいいのでしょうか。例えばそれは漢字の使い方とか、他人との関わり合いで自分が勝手に行動を制限するとか、そういう感じのものがありました。信号でなるべく止まらないように歩くスピードを調節するとか、家に帰ると同時に曲が終わるように調節するとかそういう日常行動に関するものもあった気がします。でもそういうので個性があると思っていたわけですが、そういうのって個性というトランプタワーを建てている感じがするなって思いました。大事に、自分ルールを積み上げて行って、個性を慎重に取り扱う。少しでも乱暴すると個性が崩れてしまうから、個性になるべく優しく触れる。

京都に来てからそういう自分ルールを破る時がけっこうあります。ああ今僕はやってしまったという罪悪感に遭うこともありました。でもそれっていうのは個性への信頼だと思っています。
自分ルールとか、個性だと自分で思っていたものを敢えて自分で乱暴に扱ってみて、ぐらぐらさせてみたり、一気に壊してみたり。そうして残った切り株みたいな部分に、個性っていうものは残るんじゃないかって思います。アイデンティティを聞かれても具体的に答えられないし、すぐに考え方も変わるけど、それでも僕が僕であることが変わらないし、別にそれぐらい不真面目に、適当に生きても、世界で何十億人という人がいるし、悪い方向へのポイントを積み重ねてもせいぜい誤差の範囲内だとう思うし、別にいいじゃんって思っています。

そういえば喋り方もそうですね。
最近は水野しずの喋り方をよく真似しています。


秋が来て、いつか自分があなたを好きになれること願って。
夏が去り、いつか自分があなたを忘れられること祈って。

おお、対句っぽい何かが出来た
と、お道化て見せないと、自分のキャラに合わない。
というか、そうしないと自分で自分が嫌いになりそうだ。

8月12日に行った。

初めて21_21 DESIGN SIGHTに行った。六本木に行った最後の記憶はオシャレなマックなんですけどたしかですかね?誰と行ったっけ?

21_21 DESIGN SIGHTというのは東京ミッドタウンというところの中にあって、そこは都会の緑と想像すれば正しいような遊歩道みたいな道があって、道沿いに小さく水が噴き出していたり、小川みたいなところで足を浸けられる足湯的商売が成立していたりしていた。
建物は安藤忠雄の建築。案の定(?)コンクリートのあの質感は光の教会を思い出したり。

入って受付で800円を払うとチケットがもらえると思っていたけど何ももらえなかった。
そのまま地下へ。まず対流の動きで並んだビニールが膨らむという展示。ベンチみたいだった。

まっすぐ進むと映像が流れていたけど興味なかった。発明百科みたいな本が一部拡大印刷して貼ってあって、少し見た。そしてまた映像、文字がどんどん流れていく。ディレクターとかそういう人の言葉の紹介だった。

if an apple were...
リンゴは源みたい。リンゴは単純。リンゴだからね。

ヒカリを載せた電車が端って影絵を作る。洗濯ばさみとかポットとか定規とかボールとか。
近くに置けばすぐ過ぎて、遠くに置けばなかなか過ぎない。そういえば小さい時、車に乗ってる時に月がなかなか動かなくて追いかけられているような気持ちがしていたのを最近思い出している。
とにかく影の線がシャープで綺麗だった。8割ぐらい行ったところで後ろを向いたら客の影が映るのがすごく好きだ。

指を指すとその方向に周りの機械たちが向くやつ
恥ずかしかったからやらない。

東京メトロ
JRの二番煎じと言われうるけど、リアルタイム(?)で動く光が美しかった。もっと見ればよかった(動線上だから立ち止まりじっと見るのが恥ずかしかった)

リボン
楽しかった。あの頃というかアニメの中で見るような体操のリボンを自分が制御。
カップルの直後だったから少し寂しくてすぐにやめちゃったけど。

風とボール
よく見るやつだと思ったけど、よく見るからね。途中で風向きが変わるのは驚きがあったけど落ちたボールが多かった。

森の何とかで回転するやつ
よくわからなかった(一番あるまじき感想)
でも後でスマホというレイヤーをさらに重ねたらなかなか面白かった。
カメラと動画で映るものが変わる。

ノート、人工知能
何を意味しているかわからなかったけど、多分あれは書いたものによって目の前のヒモが下がっていく。それはもしかしたら自殺かもしれない。

段ボールの音
モーターで不規則に鳴るのが幾重にも重ねられて騒音を作り出していた。
そこだけ森の中にいるかのような異世界だった。段ボールの色もあるだろう。
頭をぶつけやすい。草原の中で2人だけ迷い込んだ場所の記憶(そんな記憶はない)


一番好きだった。綺麗だった。星の傘はわが星だし、傘はアタシノアシタだし。
未だに覚えています。三鷹に行ったときの道中でしたそれは。
傘は僕にとって大事な物質です。

風の動き
光源を見つけたときにおおっとなった。
波紋のような、空気の質感。空気と光の親和性。
アマヤドリ旗揚げ公演、吉祥寺を思い出させるカーテン。
美しかった。

水滴を触る
女子大生みたいな女性が隣でやっていて、ああ、デートで来ればここは楽しいと思った。
立ち上がり、男がやっているのを見た時、違うと思ってしまった。これは僕がやるべきじゃなくて、女の子のものだと思った。

二重らせん
やっていなかった。

光と鏡
竜宮城のような、光が壁のあちこちに映る。
あの通路に合わせたのか、それとも存在が先立っていたのかわからないけど、世界が出来ていた。
人口物であれだけ不思議な光の破片が映せるのだから、カオスっていうのも実は秩序立っているのかもしれないとか思ったり。

これで展示を追えたか。
動きがあるから、最初がわからず、途中から見て、1周して途中までいった時点で「あ、こっから先は見たやつだ」ってなる空気、他人を見ててもわかる。
健全な空間でした。家族連れが多かった。

そういえば上野の元素展だっけ。ああ最高な記憶だからこそ今ではつらいという記憶をまた思い出してしまった。

最近はブログを書こうとしてやめてしまいます。

最近自分がどんなことを思っているのか書いてみるなんてやってみちゃう。

「かしぱんがどんどんニヒルになっていく」
たしか時計台前で修学旅行生をdisったツイートした時にTLに流れてきた言葉です。
自分はこうだっていうのがない、と言ったらうそになるけど(少しはある)、言われると自分の中で、え、自分はそうなのかなって思い込んでしまう。
ニヒル、ニヒリズム、そういった単語が少し脳の回路を巡っているのが今です。
とはいえニヒリズムと書いてあった本を読んでみたら10ページも読まないうちに放り投げてしまいました。
哲学の根本問題とか、哲学の歴史的研究、哲学することは日記とはどう違うのか、そういったことが書いてあったんですけど、読んでて疲れてしまった。もっと本を読まなきゃいけないというのに。。

考えていることはあんまない、というか、本当に最近の自分は何かに熱中することが出来なくなったというか、熱中している姿を演技しているというか、自分というものがよくわからんくなっています。
「歴史的哲学的に誰かが既に思い悩んでいることをまた思い悩んでいる」ことはコストパフォーマンスという点から見ても悪いし、や、自分が最適解を常に選べないことは十分自分で自覚を持っているつもりなので、コスパ悪いからって理由だけでやめられるような人じゃないことぐらい自分でもわかっているんだけど、そうじゃなくって、悩むことに取りつかれているような気がする。
何に悩んでいるのかわからないというのが悩み、ってよく言いますよね。

この前も、何かこの気分を変える必要がある気がなんとなくして、購買欲を満たしてあげようと時計台ショップに行ったけど、時計台ショップでまず昼間に一度買おうとしてやっぱりやめたフルーツジュースを、その後でなぜかタリーズで飲み物買って、買った後でなんで買ったんだろうってぼんやり考えながら時計台の東側の道を歩きました。なんで買ったんだろうって考えながら、と、今書きましたが、別に答えを出そうとはしていなかった感じです。なんで買ったんだろう。。。ふふふ~みたいな気分。

徹夜後の朝は不思議と朝って感じがしない。夜の延長線上に朝があることをはっきりと私たちに突き付けてくる。僕が思う朝は不連続な始点としての朝だから、眠るという行為が必要なのだろう。朝はさわやかなんかじゃなくて、朝はただ夜が力尽きただけだ。そして街は、夜に身を包んでいたはずの町はあっさりと太陽に明け渡されてやがて昼になるんだ。

昨日みたいに特にやることもなく(本当はあるけど)、誰かと喋りたい気持ちもあるけど、自分が動く気はないような、嫌な意味でぼんやりとした夜をもう何回繰り返したのか。既に僕は何百何千もの時間を無駄にしてしまっている。こういうときは無理やりにでも立ち上がって、外に出て、街を歩くことがいい、っていうことを僕は知っているはずなのに。知っていてもそれは出来ないということをもう何回も僕はわからせられている。

自分がもっと行動出来れば、何回も何回もそう考えている。一時期、それを僕はエネルギー不足だと考えていた。エネルギーが足りないから行動が出来ない、と。でもそうじゃない。
・・・今完全にそうじゃないって言う文脈だから言ってしまった()
エネルギー論理自体は僕は未だに信じていて、エネルギーが大事だと思うのだけど、(ちなみに今の大事は適当に言いました。)その源はどこかと言うと、多分気持ちなのだろう。

そうです。僕は自分がどうすべきなのか知っています。どうすれば一番いいのかわかっています。それをわかっているのにしていないのです。よくないことです。

どうすればいいかわかっていて出来ない僕の机の上には未だに大量のプリントが積まれている。

乙女というのはいるのだろうか。
今日は久しぶりにあなたに会った気がする。
僕の住む市は南の方へ行くと団地街がある。似たような色で似たような高さで似たような匂いのする建物が1,2,3,,,と番号がつけられて並んでいる。補助輪のついた自転車、グローブ、サッカーボール、子供たちが4,5人で遊んでいる。それは道路だったり(危ない)、駐車場だったり(危ない)、団地と団地の間の公園だったりする。

自転車を押す彼女は何も喋らない。僕はその後ろを、彼女の結んだ髪が歩いて揺れるのをぼんやり見ながら歩く。なんで僕は何も喋らないんだろう。何か話題はないものか。。。そう考えてパッと話題が出てくれば苦労はしないな。きっと『リア充』という人種はこういうことも考えないでやってのけてしまうんだろうなあ。なんて。本当に取り留めもない、適当なことを脳内言語で語ってみる。

僕と彼女は高校が違う。高校は2人とも所謂進学校で地元ではない。僕は京王線で新宿方面に、彼女は京王線で高尾山口方面に乗っている、から、真逆の方向ってわけだ。
1回だけ、朝早くに(たしか運動会か何かの朝練があったから普段より早く家を出る必要があったときだと思う。)彼女を駅で見た気がする。僕がホームでふと階段の方を見ると向こうから歩いてくる彼女がいた。彼女は1人の世界に微睡んでいた気がする。たしか指なんかくるくると回して(数学ガールのミルカさんみたいだ。)。まあ声はかけられなかった。

そんな彼女と何故か、多分僕が誘ったんだろうけど、放課後、地元の駅から一緒に帰ることが何回かあった。あまり親しくはなかったけど、なぜか2人で駅前で立ち話を永遠としているもんだから、誰かに勘違いされるかもしれない、いや、して欲しいのかもしれない、なんて。まだまだ子供っぽかったなあと思う。色々なことを喋った。実はあの時こう思っていた話とか、高校の話とか、好きな何かの話とか。数学ガールに嵌っていた僕は、既に小学生の時に読んでいたという彼女と数学ガールっぽいことをしたかったのかもしれない。2人で理系な話をしたり、将棋の話もした気がする。兎角彼女は賢かった。聡明だった。綺麗だった。胸元にドキッとしたりした。

2,3時間も立ち話をしていると足が疲れてくるというのはその時に学んだ。
今はもうそんなことはしていないし、僕は左京区に来てしまったから京王線も通っていない。


外からサイレンが聞こえる。
ブログです。実はアカウント自体は持っていたのでここでやろうと思います。多分更新は殆どしないです。

先日、日本の現代演劇という本を読み終えました。唐十郎から野田秀樹までの所謂小劇場演劇を大きく3つの時代に分けて、1世代目に本の6割以上が割かれていて、残り2世代が超駆け足で説明されていました。つかこうへいの名前が何時か公平から来てるんじゃないかっていう説におおっとなりました。つか本人はそれを聞かれて違う思惑でつけたっぽい返事をしたそうですが。


満州に行った野田秀樹ですが僕は京都にいます。
寺山修二は第1世代ですがかなり異端な存在だそう。阿佐ヶ谷だかを舞台にした市街劇、大学祭でどっかの劇団がやれば盛り上がるんじゃないでしょうか。演劇を構造から脱構築しようとしたらしいです。最近の京都大学のユーモラスもとりあえず脱構築しときましょう。


今日は2限教育学、3限精神分析学、4限教職科目でした。教育学は殆ど聞いていなかったです。精神分析学も。教職は話が凄く面白かったのに寝ました。寝ていたら排尿する夢を見て、オネショするかと思ってビビりました。また排尿に効く薬を飲むことを放置しているのでそろそろ再開します。

今は筆箱を買い替えたいです。服も買いたいです。でも自分がどういう服を着るのか自分で想像できません。僕に似合う服を一緒に買いに行ってくれる華奢娘ください。ドライヤーを買うべきだということを教わりました。後は色々身なりを整える必要があることを感じているのでそういう道具も。もちろん体型も。何とかせねば。そう考えると新歓でかかる色々なお金+教科書代+最近の食生活にかかるお金というのはかなりバカに出来ませんね。さらに観艦式という艦これのイベントが当選したりしてそれも課金しなきゃいけないので大変です。アルバイト頑張っています。

最近、それなりに楽しいけど、ふとした時に喪失感とか寂寥感に襲われるので、銭湯に1人で行きたい。