あけまして おめでとうございます
本年もよろしくお願い致します。
ご無沙汰しております。
今日は母の幼いころについて書きたいと思います。
母は昭和18年に生まれました。
その頃、大阪で祖父母は商売をしていましたが、
戦争の激しい頃でした。
家は大阪大空襲で燃え、かなり深く埋めた、
アルバムや着物なども燃えたそうです。
戦後、一旦祖父母の故郷の四国・丸亀へ
行きましたが、母の姉と祖父側の家族の
折り合いがあわず、職と住居を求め、
九州の三菱方城炭鉱へ引っ越しました。
そこで母は幼少期育ったのです。
祖父は慣れない炭鉱勤めで、家は炭住です。
母は糸田小学校へ入学しましたが、
小学四年で、伊方小学校へ転校し、
方城中学校を出ました。
最近知りましたが、IKKOさんも同じ小中だったようですね。
伊方小学校の校歌は、
「♪伊方の里の鶴が岡~。家広く・・・」みたいな
歌詞だったそうです。
方城中学校へは遠くの小学校の
弁城小学校の皆さんも通っていたそうです。
弁城の持丸さんと言う女の子と遊んだことがあり、
家にも伺ったそうです。
弁城に家のある同級生には永野さんが数人いたそうです。
家の近くには八幡町商店街があったそうです。
映画を観に金田商店街辺りや、後藤寺にも
出かけたりしていたそうです。
村岡呉服店の娘さんと仲がよかったそうです。
方城中学の担任で「おこぜ」とのあだ名の
数学の先生で、日向先生が担任だった様です。
中学卒業して、祖父が炭鉱を早期退職して、
九州を離れたようです。
最近、母がすごく懐かしがっていたので、
記事にしてみました。
同じく懐かしいなぁと思う方などのコメント、
嬉しいです。 よろしくお願いします。