1年前程から始めたのですが、私はウォーキングを趣味としており、
自宅の最寄の駅から目的の駅まで歩き、また別の日に今度は前回目的地とした駅から
また別の目的地の駅まで歩くという事をやっています。
その一環で、GWの長期休暇を利用して、1泊2日でウォーキングをやってきました。
今回は、笹子駅から前々から行ってみたかった石和温泉駅まで行き、宿で宿泊して、
2日目は石和温泉駅から甲府駅経由で後は自分の行ける所まで行くという様にしました。
今回は1日目の笹子駅~石和温泉駅の徒歩旅を記載したいと思います。
1日目はこの様なルートで歩く事を計画していました。
しかし、このルートで行こうとすると、新笹子トンネルを通らなければなりません。
新笹子トンネルは3.3kmもの距離があり、しかも車道オンリーで、歩道はありません。
そのような長い距離を歩道なしで行くことは不可能ですので、笹子峠から迂回するルートを取る事としました。
新笹子トンネルを迂回すると、
約7km以上も距離が違う上に、峠を越える事になるので、迂回する方が過酷な道のりとなります。
とはいえ、トンネルを通って行くことは自殺未遂に等しいので、泣く泣くこちらを選択。
という感じで、
まずは、笹子駅からスタートしました。
そこから、ほぼ道なりに進んでいき、
矢立の杉の看板を発見。
ここから、峠道にさしかかっていきます。
本当は、ここから遊歩道に入ってく様なのですが、現在入口が封鎖されており、
通ることができませんでした。
少し先を進んだこちらの道の先も封鎖されており、通る事が出来ず、
不穏な空気が漂いましたが、日影笹子線から迂回する事で何とか進むことができました。
車道から進んでいきましたが、朝早いこともあってか、
車にはほとんど遭遇せずに進めました。
しばらく進むと、
笹子峠遊歩道の案内が出たので、こちらから進むことにしました。
遊歩道自体は、道もそんなに狭くなく、案内や橋があるので、
矢立の杉までほぼ迷うことなく行けました。
遊歩道を進んでいくと、この様な石碑があり、こちらは明治13年に明治天皇が巡幸した際に、
笹子峠で休憩なされた事を記す石碑だそうです。
更に進むと、
矢立の杉に到着しました。
矢立の杉は、戦勝祈願を願う武士たちが、矢をこの杉に射立てていった事が名前の由来となっているそうです。
昔はこの杉の空洞に入る事ができたそうですが、今は入る事はできません。
杉良太郎氏の矢立の杉の歌の歌詞を載せた碑もあります。
ここからはまた日影笹子線に再び戻り、進むこととなりました。
車ともちらほらすれ違いましたが、交通量は大した事はないので、安全に進めました。
歩きどおしですが、素晴らしい眺めを見ると、疲れも吹っ飛んでいく様な気がします。
この日は暑くなるとの予報でしたが、からっとしている上に日陰も多いので、涼しかったです。
しばらく日影笹子線を進んでいくと、
笹子隧道に辿り着きました。
この笹子隧道は1938年に開通し、甲府盆地へ繋がる国道20号に指定されたらしいですが、
この隧道までの道がヘアピンカーブの続く走りづらい道という事もあってか、
主要な流通経路とはなり得ず、新笹子トンネルが無料開放されると、県道212号日影笹子線の
移管となったとの事です。
トンネル内はひんやりとして気持ち良かったですが、人気の無い事や、中が暗い事もあり、
少し不気味な雰囲気ではありました。
引き続き、日影笹子線を進んでいき、ようやく、
峠を抜けました。
目の前に見えるのは中央道となります。
ここから、甲州街道を進んでいき、
一旦、甲斐大和駅に立ち寄りました。
駅の近くには、武田勝頼像がありました。
そして、付近の定食屋でお昼ご飯を頂き、活力を戻して、
再びウォーキング再開。
ここからは、甲州街道~田中勝沼線を進んでいく事に。
見渡す限り、山が見えて、非常に素晴らしい景色です。
甲州街道から田中勝沼線へと移行、ひたすら進んでいきます。
勝沼はぶどう生産が盛んという事で、ワイナリーや、ショップが非常に多かったです。
また、そのおかげか観光客で賑っていました。
ひょっこり、富士山も見えました。
田中勝沼線から大菩薩ラインへ合流し進んでいくと、
笛吹川が見えました。
ゴールはもうすぐです。
ようやく、着きました。
石和温泉駅ではなく、まず宿に向かってしばし休憩する事とします。
宿の温泉に入り、さっぱりさせ、休憩した後、
一人でひっそりと祝杯を挙げました。
その後、
遅ればせながら、石和温泉駅へと到着。
この後、宿に戻り、酒を少し飲んだ後、就寝。
次回は、石和温泉駅~甲府駅経由の徒歩旅の模様を書きます。