夢と現実の話 | サカミチホサカ

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マンガ原作とかそこら辺のお仕事をちまちまやってる保坂歩ことホサカが、はんなりと綴ります。

10年と少し前、リアリティがありすぎて、ほぼ現実と区別がつかない夢を見るようになった。

別に特殊能力を手に入れたとかではなくて、そのころの自分には現実があまりにもキツすぎて、脳のどこかが夢のリアリティを全力で強化したんだと思う。
具体的には両親と姉を突然失った現実、というか事実をすぐに受け入れられなかった自分が、両親と姉が生きている状態の夢で生活する。
そこでは飛び飛びながらも、月日が経過する。
会話も進展するし、旅行にも行く。料理がまずかったら文句を言うし、一緒にテレビも見る。

夢の中の自分は、そこが夢であることを認識しない。
目が覚めてから、夢の中にいたことを自覚するまでに1時間はかかる。辛い方の世界に来てしまったか、と諦めて生活を再開する。
荘子の『胡蝶の夢』はありゃマジだな、と思った。
ペルソナのOPぐらいのイメージしかなかったけど。

確かそんな感じで、夢と現実をいったりきたりする生活が2年ぐらい続いた。
そのあとも夢を見る機能が妙に拡張されてしまって、明晰夢を見られるようになった。
夢の中でメモを取れるようになり、空中に書いた数式で計算までできるようになっていた。

で。
数年経ったらあの超リアルな別の人生を生きる夢は見られなくなって、明晰夢も見られなくなった。
なんか弱体化していくような気分だったけど、別にいいか、と思った。

自分が強くなった、とは言わない。
あのころよりちょっとは幸せになれたので、別の人生も、明晰夢も必要ではなくなっただけだと思う。
創作に打ちこめる生活に入ったから、夢を具体化する必要がなくなったのかもしれない。
改めて、あのころと同じ夢を見たいとも思わない。

だが、あのころの自分が現実から逃げていた、とも思えない。
むしろどうやって現実と向き合うかで必死だった。
自分の脳、というか精神は、少しでも今の状態を肯定するために、処理能力や想像力を上げていたんだと思う。
思考の再整理。リアリティのチューニング。
自分は多分、あの夢がなかったら、未来を生きられなかった。

VRやARは、だから自分にとって現実から逃げる手段などではなく、人生を豊かにする手法であり、より多くの人間が新しい未来を生きるために必要なサイエンスであり、体験なのだと思っていた。

自分は現実を改めて生き直すきっかけとしてVR的な夢を体験したけれど、夢を現実にする努力や技術ががあるのなら、それが可能なら、やっちまえばいいと思う。
でもまあ、『今』に満足している人達には、さほど重要ではないツールなのかも。とも思う。

なかなかあのころの自分と同じ感覚を持つ相手には、出会えない。
そんな相手、いないほうがいい世の中なんだろうけどね。