太平洋戦争で日本が「ポツダム宣言」受諾後に北方領土に侵攻したソ連軍の上陸作戦に使われた軍艦の多くが、米海軍から貸し出されたものだったことが、根室振興局北方領土対策課の調べで分かった。北方領土のソ連軍占領の裏で米国が関与していたことを示す重要な資料として脚光を浴びそうだ。

 この事実については、米国とロシア・サハリン州の研究者がそれぞれ論文にまとめていたが、日本に紹介されることはなかった。

 1945年2月のヤルタ会談で米国のルーズベルト大統領(当時)がソ連のスターリン共産党書記長(同)にソ連軍参戦を促し、千島列島と南樺太のソ連への引き渡しを認める秘密協定を結んだ。

 米国軍事史に詳しい元陸軍中尉、リチャード・A・ラッセル氏はロシア海軍のアーカイブ(記録保管所)を調べ、この際に上陸作戦に必要な軍艦の貸与や訓練も盛り込まれていたことを97年に著書「プロジェクト・フラ」の中で発表(英文)した。操船技術を習熟させる目的で、ソ連軍将校と兵士1万2000人に対し、米軍がアラスカのコールドベイで訓練を実施していた事実などが詳細に書かれてある。

 またサハリン州の歴史研究者、イーゴリ・A・サマリン氏(57)は2011年、上陸作戦に使われた艦船リストを論文(露文)にまとめ「サハリン郷土州博物館紀要No.3」に寄稿した。

 これらの論文などによると、米国からソ連側に貸与された軍艦は、上陸用舟艇(30隻)▽掃海艇(55隻)▽護衛艦(28隻)▽駆潜艇(32隻)--の計145隻。千島列島と南樺太の上陸作戦にも使われた。

 このうち45年8月28日から9月5日までの南千島(北方領土)上陸作戦に使われた貸与艦は計10隻。これにソ連の輸送船や機雷敷設艦7隻が加わった。貸与艦の多くは、米海軍時代に使われていた艦艇番号のうち、米艦を意味する「US」「AM」などの頭文字を消し、2、3桁の数字はそのまま残して上陸作戦に臨んでいた。