こんばんは。

MIKIKOですニコニコ


昨日フィールドワークで行ってきた

国分寺市をご紹介しますベル


今回目指したのは西国分寺駅南界隈。

ここには、国分寺かるたの題材に決まった、

武蔵国分寺・尼寺跡、薬師堂、真姿の池湧水群、

お鷹の道、伝鎌倉街道、

たまらん(多摩蘭)坂などがあります。


関越道を降りて立川、国立、

そして国分寺に入ろうとしたあたりで、

“多摩蘭シュー”なる看板を発見目


いつだってかるた目線☆-20120206_1

おっとこれはビックリマーク

今日廻る予定の「たまらん坂」に関係あるもの!?
急遽車を脇道に停めて、ときめきを感じながらお店へ音譜


多摩蘭シューを2個注文し、

お店の人に坂の場所についてたずねますと、

「この先をちょっと歩いた先にありますよ」とのことひらめき電球


おおラッキーラブラブ

探す手間が省けました

美味しそうなシュークリームまでゲット~ラブラブ

かるた目線、ビュンビュンに飛んでますウインク


ちなみに「たまらん坂」は、

故忌野清志郎さんが作詞作曲した『多摩蘭坂』で、

一躍知られるようになりましたkaraoke*

名前の由来は色々あるようですが、

昭和初期に東京商科大学(現一橋大学)の学生が、

坂道が急で「たまらん」と言ったからとかなんとか。


お店の人の話続き。
「別になんとはない普通の坂ですよ。

昔は石垣もあってそれらしかったですけど・・。

忌野清志郎さんがお亡くなりになったときは、

花束がたくさん置かれていました。」

そんなエピソードをいただいて、

いざ「たまらん坂」へ。

てくてく歩く



ハートこちらが「たまらん坂」坂下)ですキラ

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信号角に道標がありました。

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実際にのぼりおりしたけど、

特に「たまらん」という気は・・はてなビリー

今は舗装されているから歩きやすいのかな。

昔はもっと急勾配だったのかもしれないですね。


車に戻って中で多摩蘭シューを堪能した後、

武蔵国分寺跡へプリウス青DASH!


ハート「お鷹の道キラ

この辺りは江戸時代、

尾張徳川家の御鷹場に指定されていたそうです鷹

現在は石畳の遊歩道が整備され、

“お鷹の道”として親しまれています。


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とても静かで雰囲気のある道。

誰とどんなことを話しながら歩くのがいいかなあ~、

なんて想像にふけったりしてにひひ


ハート「真姿の池湧水群」キラ

お鷹の道の先にある「真姿の池湧水群」は、

環境庁の全国名水百選に指定されています。

多摩川に注ぐ、野川の源流にもなっています。

源流、好きだな~ドキドキ


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ごらんくださいビックリマーク

とっても清らかな水ですキラキラ☆

ペットボトルやポリタンクを持って、

水を汲みに来ている人も結構いました。

お茶やコーヒー、手作り石けん等に使われているようです。


私もちょうど空のペットボトルを一本持っていたので、

列に並んでいただいてきました。

この水を使って、ふっふっふっ・・というのも


「真姿の池」の由来について(環境省指定名水百選HPより)

嘉祥元年、絶世の美女といわれた玉造小町が難病で苦しみ、

病気平癒の祈願のため国分寺を訪れ21日間日参すると

一人の童子が現れ小町を池に案内し、

この池で身を清めるように言って、姿を消したので、

小町がそのとおりにすると病は消え、

元の美しい姿に戻ったという伝説がある。



どうですビックリマーク霊験あらたかな尊いお水なんですね水

これを使えばきっと私にも何かが起こる??


足下の水底をズームイン目

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石についている気泡、わかりますか?

ちょっと白っぽくなっているところです。

空気をたくさん含んでいるんですね水


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地元自治会がホタルの住む川づくりにも取り組んでいます。

国分寺崖線(ハケ)が生んだ恵み、

地元の方々によって大切に守られていますホタル


ハート武蔵国分寺境内内「万葉植物園」キラ
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武蔵国分寺の創建当時編纂された万葉集にちなんで、

歌の題材として好まれた植物が植栽されていますもみじ

その数約160種ビックリマーク

各植物のそばには解説版が立てられています。

万葉人はどんな想いを草木に寄せたのでしょうか。

緑の頃にまた来たいですクローバー



ハート「武蔵国分寺薬師堂」キラ
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建武2年(1335年)、新田義貞の寄進により、

武蔵国分寺史跡の金堂跡付近に建立されたと伝えられています。

現在のお堂は宝暦年間(1751~1763年)に再建されたもの。


えっ目

なぜ新田義貞の名がここではてなマーク

群馬県太田市出身の私にとって、

義貞は教科書にも載っている、わが郷土の偉人中の偉人兜

「上毛かるた」にも“歴史に名高い 新田義貞”とあります。


ちょっと調べてみましたら、

とんでもない事実がわかりました本


新田義貞って、武蔵国分寺を焼き払った

張本人だったんですね。。。


ガーン叫び

日本史で勉強したかもしれないけど、

すっかり忘れていましたあせ


メモ調書

1333年(元弘3年)、

上野国新田庄で鎌倉幕府討伐の兵を起こした新田義貞。

勝ち戦を重ねるものの、分倍川原で対戦した幕府軍に大敗。

後退の際に当時600年の歴史をもつ武蔵国分寺に火をかけて焼き払う。

その罪滅ぼしのためか、その後黄金や伽藍を武蔵国分寺に寄進し、

薬師堂も再興。


必要に迫られたとはいえ、

義貞公、なんとも恐ろしいことをされたものです。

“歴史に名高い”とは陰陽合わせた意味だったんですね陰陽

念入りにお堂に手を合わせました。


おっと、こんな遅い時間になってしまった。

もう寝なきゃ!

ということで、続きはまた明日ニコニコ

おやすみなさ~いキラキラ