声優になるという夢を捨てて高校に進学した僕は、奨学金を2社からもらい、アルバイトをしながら昼間の公立高校に通いました。
そのころから父は、会社の退職金(中卒の学歴だったのに、大企業に勤めていた)を元手に、母と二人でスナックをオープンしていたんですが、父の具合が悪くなるにつれ、接客ができない母が店を回していくことになり、どんどんと経営が悪化していきました。
僕が高校を卒業する頃になると、経営はかなり厳しい状態に陥り、父も僕も店を守るために外に働きに行くという、わけのわからない状態になっていました。
仕事とは、自分の時間を提供した対価である。
仕事に対して思い入れのない僕は、自分の時間というものを企業に売った結果が給料だと思っていました。
当然、そんな考え方の人間が仕事に対して真面目に努力するわけもなく、高校を卒業してすぐについた職場をわずか3ヶ月で放り出し、家を飛び出します。
親を養う重圧に、ロボットの様に働いてお金を得る人生に、嫌気が差したのです。
とにかくどこでもいいから逃げ出したい。
誰も知らない土地に行けば、新しい自分に出会える気がしたんです。
でも、お金もない、寝るところもない、仕事もない、これからどうするというビジョンもない。
あっという間に食べられなくなり、10日あまりの家出は終了します。
貧乏は待ってくれない
家に帰ってきた僕を、心配してくれたのは帰ったときだけで、3日もすれば『働かずもの食うべからず』の仕打ちが待っていました。
家にいても肩身が狭い。
かといって、外出など許されるはずもなく、未成年のくせにお店を手伝ったりしていました。
ある時、常連のお客さんから派遣の仕事を紹介してもらって、家から出ることに成功します。
リゾートホテルの皿洗いの仕事だったので、寮生活になったんです。
寮生活は、親の監視のもとからは解放してはくれましたが、環境的には劣悪としか言いようがありませんでした。
畳敷きで20畳ほどの広さの広い部屋に、数畳ほどのスペースが与えられますが、そこに仕切りなどはなく、無造作にひかれた布団と、その周りに置かれた自分の私物があるだけで、繁忙期には8人ほどで生活をします。
当時の自分からはおじいちゃんにしか見えなかった50過ぎのおじさん、酔っ払って常に絡んでくる40代のジジイ、たまによその部屋からもチンピラのような怖いお兄さんが博打をしにやってきました。
朝8時から夜11時くらいまで仕事の時間だったので、寝るぐらいにしか部屋には帰らないのですが、こんな環境が嫌だった僕は、仕事が終わると明け方まで遊びに行ってました。
金銭感覚の崩壊
ここの職場は、前の職場に比べて給料は倍くらいになっていました。
家を出るときの取り決めで、給料の半分は家に収めるとなっていたのですが、それでも多い時には手元に10万円以上のお金が残ることがあり、しかも寮生活で飯もついていたので出費はほとんどなく、当時30万円もした最新高級コンポなどをポーンと買ったりしていました。
また、子供のころから親に付き添ってパチンコ屋に行っていたので、ギャンブルなどにもどんどん手を出していきました。
最初の頃は、寮生活をしていても子供扱いをしてくれていた怖いお兄さんたちも、1年も勤めていると、カモとして見始めます。
とんでもないレートのマージャンやポーカーなどのギャンブルに頻繁に誘われるようになっていきました。
このままではまともな人間にならないと思った僕は、逃げるように仕事を辞めました。
この時に手に入れたものは、中古車、運転免許、コンポ、テレビ、ゲームソフト等とともに、壊れた金銭感覚でした。
子供の頃、歩いてしか移動できない行動範囲から、自転車を手に入れ広がっていく行動範囲のように、手に入れるお金の量の増加によって出ていくお金の量も変わっていったのです。
















