こんばんわ




・・・2015年9月5日・・・



大切な命が天使になって旅立ちました



再婚してから、僅か8ヶ月の中で今年の2月中旬に

「科学流産」を経験し、、下旬には身内だけで小さな

結婚式を挙げました


妊娠報告の予定でしたが…まさかの超初期流産を

してしまい、、複雑な気持ちでその日を迎えたこと

今でも忘れません



そして、、



4ヵ月目に念願の妊娠が6月下旬に分かりました



何事も順調に行くものだと思いこんでました



だけど、、悪阻という際も過酷な試練が待ってました



悪阻は「眠りづわり」「気だるさ」「喉の渇き」「味覚の変化」

「好みの思考変化」「水分の拒否」「吐き気」「強烈な空腹」

「目眩」「におい」・・・


あらゆる悪阻になり、、40日間断食状態で過ごしました


人が40日間もご飯を食べずに水分をコップ半分も摂れず

過ごすというのはホントに過酷な環境でした。。


7月20日に悪阻のピークを迎え実家に行くことを主人に

話し、その夜に実家へいきました。


その数時間後に主人は急性膵炎を発症し私の両親が

真夜中から緊急病院に連れて行ってくれました




主人は即入院。




私は悪阻により体重が48kg⇒40kgと痩せ細っていま

した


妹や母に点滴を受けるようにと強く勧められ、、産婦人科

へと2日間連続で点滴を打ちました


産婦人科では「ケトン」の数値が入院レベルの数値が出て

いましたが、主人が入院してることもあったので、、様子を

みながら、実家から2~3日に1回点滴を打つという形で

入院を免れましたが・・・ホントの試練はそこからでした・・


主人は8日間で退院をし、、私は実家の居心地もあまり

馴染めず先に自宅に帰らせてもらいました



でも、、悪阻のピーク状態がずっと続き・・・主人が帰宅

してからも、体重は落ち続けてました



日に日に歩けなくなり、、、

四つん這いから、、地面を這って移動するなど


お風呂はシャワーすらあびるのに脱衣所で横になり

ながら衣を脱いで10分休み、、3分で身体を洗い、、

脱衣所で10分休み、、10分かけて衣を着る・・・



そして、、、8月11日。。。



体重が35.5kgまで激減・・・自ら歩く事も地面を這う

事も、、階段も上がれず・・階段したでうずくまる・・



そんな私の姿を見つけた主人は、きっと心が引き裂

かれそうな思いをしたと思います



翌日妊婦検診日でしたので、、自分の体力の限界を

感じ先生に「入院をしたい」っと泣きながら話しました



入院生活は5日間でした。



私は「変形摂食障害」で6年間も悩み続けてました

白米、野采、肉・・・ごく当たり前に食べる食材を私は

食べられませんでした。。



この入院生活で生まれてくる赤ちゃんのために頑張って

食べる訓練をしました


もともと食べる事が大好きでした。。。


最初は体調も悪くすぐに具合も悪くなってましたが、、

家事も仕事もないので、、食べる事に集中できたお陰で

少しずつ食べられるものが増えていきました


体重も35.5kg⇒38.8kgまでと順調に増やすことが

できました



退院した日から、足のむくみがはじまりました。


最初はそこまで酷くなかったのですが・・・これも日に日に

悪化し体重も一週間で2~3kgと急激に増えはじめました


やっと摂食障害を克服できたと思った矢先に足の異常な

浮腫みが引かずドンドン増してばかりでした


体重計に乗るたびに300g~1kgという日も珍しくもなく、、

退院して2週間半で45kgの7kg増というあり得ない数字に

なってました


浮腫み過ぎて歩行困難になりました


リンパマッサージやカリウムの多い食材や塩分も控えま

したが、、なんの効果も得られず・・主人と産婦人科に

行きました


妊婦検診が9月9日でしたが、、浮腫みや体重増加もあった

ので1週間早めに行く事になりました



9月2日の検診前日にふと、、赤ちゃんが元気なのかと思い

主人に話しかけてました



早めの妊婦検診で週数は14週5日目でした




そう・・・



主人にとって初の腹エコーで赤ちゃんの様子が見れる

という事で、とても楽しみにしていました



腹エコーで赤ちゃんの全体が写り、、眠ってるのか全然

動きませんでした・・・




先生の動きも止まり、、心音のスイッチを入れました





心泊音なし・・・




赤ちゃんも全く動いてませんでした。。




ここで先生は私達に告げました





「残念ですが・・・動いてないですね。。。」





その瞬間、、赤ちゃんがもうお腹の中で生きては

いないと・・・



流産という形で処置の説明を受けるため一旦診察室

を出て待合室で待機してました



自分でも信じられない気持ちでした



主人と二人で溢れる涙を止められず、、呼ばれるまで

泣いてました



看護婦さんに説明を受け、、入院の日程を決めました



赤ちゃんは13週相当の大きさでした





9月3日入院。



処置としては手術は出来ない大きさだったため、、子宮口に

海藻の棒を入れ水分を吸った海藻が子宮口を広げていくと

いうものでしたが・・・



この処置は陣痛とはまた違う激痛で痛みで泣きました。。



処置が終わったあとはぐったり病室に戻る。。。

それが2日間やるという処置でした・・・



ホントに辛かったです



ただでさえ、お腹の赤ちゃんが亡くなっているというのに・・・

人工出産をしなければならないのですから。。。




そして、、5日の朝9時に海藻の棒を外し、、膣座薬で陣痛が

起こるのを待ってました。。



座薬入れてから20分。。。



お腹が張り始め陣痛のような痛みが増してきました



隣には主人が立ち会ってくれてました。

初めての立会出産が死産だというのはホントに辛いものは

ありません・・・



赤ちゃんが生まれることを一番楽しみにしていた主人でした



ホントに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。。。





9時48分に破水・・・




9時51分に赤ちゃんが出来てきました。。



主人は出てきた赤ちゃんを愛しそうに涙を浮かべながら

12cmと小さな小さな我が子をずっと見ていました。。




私は胎盤の処置のため静脈麻酔を打たれ処置を受け

数分後に看護婦さんに起こされました。。



意識がもうろうとしてる中で主人は私の手を握って・・・






「ありがとう」




って笑顔で優しい声で話しかけてくれました。。






病室で私は赤ちゃんと対面しました。。



小さい身体でしたが、、手も足もしっかりしていて、、

目が主人に似ていて、、顎が私似だったりと・・・



主人と語りながら、ふたりで泣きました。。




翌日退院。





9月9日、、9時22分、、火葬。。



主人と私だけの見送り。。




納骨では骨は残りませんでした・・・




お昼にはお寺で供養し、、白樺の位牌を自宅に

持ち帰りました。。





目まぐるしい結婚生活を今も過ごしています



足の浮腫みも未だに解消されず・・・体重も増加中





辛い渦中にいますが・・・




赤ちゃんは私にご飯を食べれるようにしてくれました


主人には少しの間だけど、、パパになることができました

立会出産も経験させてくれました。。



私達にとって、、とてもとても素晴らしい経験させてくれた

ことで夫婦としての愛情も一層高まりました