アツ〜い想い | 風を感じて

風を感じて

アラカンに突入。セカンドライフ、ぼちぼち行こか。

カンボジア初日のサンボープレイクック遺跡に向かう途中で、今回の旅で是非行きたかった場所がありました。


ガイドのスメイさんにお願いしてコースに加えてもらいました。ていうか、まさに遺跡に行く途中の道沿いにそこはありました。


そこは「アツ小学校・中学校」

校門には日本語でそう書かれています。




小中が一緒になった学校です。

「アツ」とは中田厚仁さんの愛称。享年25歳。

1993年にこの地で銃撃されて亡くなりました。


日本でも連日報道された事件です。

当時カンボジアは内戦が終結しましたが、政情は不安定な状態が続いており、国連が介入して暫定統治していた時期。UNTAC(ウンタック)と言えば何となく覚えているかな。

それで民主化に向けて初めての総選挙が行われることになり、日本からもUNTACの活動を支援するため、 PKO(国連平和維持活動)として自衛隊をはじめ、警察官や民間ボランティアなどがカンボジアに派遣されました。


中田さんは国連ボランティアの選挙監視員として、現地に赴き、選挙活動の支援にあたっていました。へき地にまで赴いて選挙の意味や重要性を訴え続けていた彼は、その活動中に何者かに銃撃されて亡くなりました。

ちょうどボク達が訪れたコンポントム州のこのあたりで。


彼が亡くなった翌月に選挙は実施され、彼が命をかけて活動した地域の投票率は99.9%を上回ったそうです。


そんな彼の献身的な活動への感謝と死を悼み、彼の名を冠した村がこの地に出来て、学校も建ちました。

Googleマップにも載っていない、「ナカタアツヒト・コミューン(村)」。そして、そこに建てられたのが「アツ小学校・中学校」です。


彼のお父さんが村で水害が起きたときに、日本で寄付を募って食糧を送ろうとしたのですが、村人たちはたちまちの食糧よりも未来の人材のためにお金を使いたいとして、この学校を建てたそうです。



訪れた時、ちょうど学校は午前中で授業が終わったみたいで、校内には先生すら見かけませんでした。

勝手に入ってよいかわかりませんでしたが、スメイさんが中に入っていくので、とりあえずついて行きました。


校舎は当時よりも拡張されているようでかなり大きかったです。青空教室なのか、外に木製の机と椅子が出しっぱなしになっていました。

井戸が掘られており、子供たちが飲水として使っているようです。でもボクらが飲んだらえらいことになるらしい。






校庭では牛がのんびり草を食べており、とてものどかです。





中田さんのイニシャル「A」を模したモニュメントの横に彼のお墓があります。

レリーフには、今も彼がいたずらっぽく笑っていました。





彼が亡くなった3ヶ月後に、娘が生まれました。

娘にも彼のことを知っておいてほしかったこともあり、今回カンボジアに行くなら、是非この地を訪れたいと思っていました。

そして、娘と一緒に彼の墓前に手を合わせました。



スメイさんが生まれた頃は、カンボジアはまだ内戦状態で、ポル・ポト時代を生きてきたお父さんお母さんはとても苦労したと言っていました。

スメイさんもあまり多くは語りませんが、こうやって日本好きのガイドさんと観光客の関係で、自由に遺跡を訪ね歩くことができる、今の平和を大切にしたいと思いました。

そしてそんな平和は、彼のような人々の犠牲の上で築かれたことを忘れてはいけないです。


中田さんのお母さんが、カンボジアに渡航する彼を引き留めようと、「どうしてあなたが行かなければならないの?」と問いかけたときに、彼は、「この世の中に、誰かがやらなければならない事があるとき、僕はその誰かになりたい」と答えたそうです。


先日、アフガニスタンで亡くなった中村医師も、困っている人を放っておけないという、単に純粋な想いだけで行動しています。


ボクにはマネできないような崇高で熱い意思がそこにはあります。

間違いなく、彼らは世界に誇れる日本人だと思います。