私の母は、いわゆる教育ママと言っていいのかな?娘の私からしてみれば子供に厳しい人だった。




幼少期の記憶と言えば、いつも怒られて泣いてる記憶しかない。大人になってから母にそのことを言うと、





「そんなことない!可愛い可愛いで大事に育てたよ!」




と、猛反発されたガーン 





今となっては理解できるにやり 母はただ必死で子育てしてただけ。実際、母なりに愛情たっぷりで育てたのだ。




しかし娘の私にしてみれば、それが苦痛だった。「~しなさい!」「~したら駄目!」常にそんな言葉をかけられていた私は、自己肯定感の低い、自分に自信が持てない子供に育ったショック





子供の頃は、それが自分の世界の全てだったから、そこで生きるしかなかったけど、成長していくに従って自我も芽生えるし、周囲の環境も知ることになる。





そんなコンプレックスだらけの私は、素直になれず随分と拗れた性格になっていき、人生がうまくいかなくなっていた。





結婚も、仕事も、頑張ってもうまくいかない。そのうち心を病んでうつ状態に…





そこから時間はかかったけど、必死にもがいて様々な本を読んだり、引き寄せの法則なども勉強したり、結果的に母の助けも借りてV字回復チョキ





考え方、意識が180度変わり、みるみる人生がうまく回るようになり、もう無理だと思っていた結婚もした。







前置きが随分と長くなってしまったけど、そんな背景があり、一人目妊活の時には、






「私は子供が出来たら絶対にお母さんのような子育てはしない!もっと子供に寄り添って子供を尊重して能力を伸ばす。そんな理想の子育てをする!私のような厳しく育てられたけど、それを乗り越えてきた人こそ、そういう子育てが出来るし、するべきなんだ!」





そんな謎の使命感でメラメラ🔥と燃えていた。





私は絶対にいい母親になれるし、その資格がある。だから、子供が出来ないのはおかしい。絶対に妊娠・出産するんだ!!






そして何かに取りつかれたかのように不妊治療に邁進していた。それでも思うように結果が出ず、治療を諦めることを考えていた時、ふと気付いた。





私は母の子育ては間違っていたと信じていたけど、今の私は夫と結婚出来て凄く幸せじゃないか。あの母にあの育てられ方をされていなければ、夫とは出会っていないだろうし、今の幸せは絶対にない。





今の夫以外の人は考えられないし、これで良かった、これが良かったんだ。





母の子育ては、私に試練を与えたかもしれないが、それが正しいとか間違っていたということではないんだ。むしろ、あえて言うなら正しかったんだと思った。






そう気付いた時、私の「理想の子育てをしなければいけない!」という謎の使命感は全く必要ないものになった。と同時に、どうしても出産して子育てしたいと思う理由も自然となくなっていった。






あの使命感は、きっと自分の子供のためではなく、自分の中の隅っこで燻っていた幼少期の私の満たされない思いがそう思わせていたんだと思う。インナーチャイルドっていうのかな?





怒られて悲しくて、寂しかった幼少期の私はもうこの世に存在しないのだ。だから、理想の子育てで塗り替える必要もない。もう十分すぎるほど幸せなんだ。






その思いを手放せたことで、肩の荷がおり、心がかなり軽くなった。そして妊娠しましたとさイヒ





これだけではないけれど、妊娠の障害の1つの要因ではあったと思う。手放せたことで、今の子育ても力が抜けて楽に出来てるとも思うんだよね。