皆様からのメールやメッセージ、サプライズ。
本当にありがとうございます(>_<)

ひとりひとりのこどもの未来

を考えながら、微々たる力ですが、
毎日毎日、ぶれずに、自分自身が進んでいきたいなと思います。

今、目の前にある助けなければいけない命、先のために、今からまく種。

結構、考えすぎて、ひとの意見を取り入れようとし過ぎて、
周りから、ぶれていると言われることもありますが、
こどもの未来にむけて
思い、行動している根底だけは、今までぶれたことがありません。
方法は、確かに少しずつ、変わっているかもしれませんが、
目指すもののために必要かどうか、に立ち返り、
必要だと思うから、やっていると思っています。

まだまだ足りないところだらけですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




iPhoneからの投稿
今、この時が、過去になっていっている。

時間って、誰のところにも訪れて、そして、去っていく。

先日、ある方のお話しを伺いながら、
ふと、過去を過去として捉えられるようになる過程を考えていました。


思い出って不思議なもので、
最近のことが遠い昔のことのように
思えることもあれば、
半年くらい前のことが、
あたかも最近のことのように、
鮮やかにな情景と感情すら伴って
思い出されることもあります。


私の経験だと、
感情を伴って脳裏に映される、まだ過去としての思い出になりきれない出来事って、
楽しい、嬉しい、幸せな出来事より、自分にとって、辛かった出来事であることの方が多いような気がします。


その印象深い、なにかしらの心の痛みを伴った出来事は、
時間と共に、思い出される頻度は減ってきても、
例えば、音楽とか、香りとか、そんな五感がうけとる刺激とともに、
切なさ、とか、痛みと共に思い出されたりして。


まだ完全に、過去のことになりきっていたいんだな、と自覚したりします。
過去っていう引き出しにいれてはいても、鍵をかけておかないと、
うっかり飛びでてきちゃう、
そんな感覚。

過去を過去として捉えられるようになって、自分である程度コントロールできるようになると
鍵がいらなくなってくるのかなあ…。と変な例えをしてみる。


昨日、音楽をきいていて、
ふと、気付いたら、
音楽と共に浮かぶ情景が
今までと違っていて、
ああ、いつのまにか、鍵がなくても、思い出をしまえていたんだなあ、と。

そうなっていく過程で、
時間により癒え、そして、何より私はひとにより癒えてきたものが
大きいのだと思います。


そう思ったら、誰にむけるのでもない優しい思いがあふれてきて、
温かい気持ちになりました。

ありがとうございますm(_ _)m







iPhoneからの投稿
先日、今まで、この仕事をする中で
一番影響を受けてきた、
尊敬してやまない先生の送別会がありました。


終わったあと、
同期五人で夜更けまで、
こどものことを
真剣に語る、のまき。


同期の中で一人、
研修医時代からの友人、もはや同士、だと勝手に思っている方がいます。

彼との最初の出会いは、
大学時代の研修医試験。

研修医として研修病院に入るための試験会場で。
まず小論文があったんですが…。
な、なんと筆記用具忘れて自分にびっくり!
気合いなさすぎ!と、自分に喝パンチ!
で、隣に座ってたやさしそーな、同じ大学六年生に、筆記用具を借りてみたり。
その方、消しゴムを半分に切って渡してくださり、
なんだか感激しながら、温かい気持ちで筆記試験、面接を終えたことを覚えています。

面接では入り口で転ぶし、もうダメかなあなんて思っていたら、運のよいことに合格!

そして、無事国試にも合格し、大学を卒業し、
研修医寮にお引越し当日…。
となりの部屋に荷物を運びこんでいたのが、例の消しゴムの君目

その君が、今や同士となった方なんです。

そして、その時から今まで、縁あって、一緒に仕事をさせて頂いています( ´ ▽ ` )ノ


そんな彼が、来年、今の職場から異動することに…。

ほんとは、とても寂しくなってしまうけれど、
どうぞ新しい職場で、あなたの
そのリーダー力と、不思議な癒し力、パパじゃないのに、パパみたいなまとめ力で、こども達の未来のために
頑張ってください!


とかいいながら、
すぐに、同期飲み開催予定なのです笑。

この縁は、続いて、それが、さらなる縁を繋いで結んでいくはずだと
そんなふんわりとした予感。








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