こんばんは、上村あかりです。

 

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ブログ更新再開していきますね。🕊

 

 

 

今日もパクヨンハさんの曲・歌声を

聴いていたら、

涙が止まらなくなって。

 

このブログを書きたくなりました。😢

 

 

(グループレッスンのことなど、

投稿したいたくさんのことは後ほど♥)

 

 

 

。。

 

 

本当に、命ほど大切なものはないと

 

彼の歌にじっくり耳を傾けて聴くほど

本当に心の底から強く

その思いが湧いてきます。😟😢

 

 

命ほど尊いものはないと

 

命ほど儚くて奇跡的なものはないと。

 

 

命のことを思えば、

他のいろいろな小さなことは

本当に大きな問題じゃないと。

 

 

 

学生の時に

冬ソナファンの母の影響で

好きになったパクヨンハさん。

 

私が初めて韓国語を勉強(独学)

したのも、

パクヨンハさんの歌でした。

 

 

もし、今生きていたら42歳。

 

 

彼は自ら命を絶ってしまったけれども

そんなことを夢にも思わずに(きっと)

一生懸命心を込めて歌っていたときの

歌が、

 

この世から彼の命がなくなっても

こうして残っていて今なお

多くの人の心を癒したり

悲しませたり悔しがらせたり

救ったり励ましたりしている。

 

 

だからつくづく

きっと人生ってどんな終わり方をするか

よりも

どんなふうに生きたか

なんだと思う。

 

 

「死ぬときにこう思っていたい」

という人がよくいるけれど私は

自分が死ぬときの気持ちには

興味がなくて

 

それよりもずっと

どう生きているかが自分にとっては

重要と思っていて、

 

この「自分にとっての毎日」の

積み重ねがいかに大切か

っていうことを

パクヨンハさんからあらためて

教えてもらっている気がします。

 

 

 

私は死にたいと思っていたことがあるから

自死という決断の選択に向かってしまった

彼の気持ちが

想像できるくらいには理解できる

けれど、

 

一方でただ悔しいし、惜しいし、

どこかで選択を変えてくれるような

出会いが

あったらよかったのにと

思えてならなくて、

 

 

パクヨンハさんと会ったことのない

私ですら

こんなに悲しいのだから、

 

存在が間近だった人、

自分の一部になっていた人にとっては

心がちぎれるくらいの痛みが

それは、完全に癒されることはないのだろうし、

 

 

私自身、もし今私の周りにいる

大切な人たち、

私が大好きだと思う人たちが、

 

この世からいなくなってしまったらと

思うと

 

何も手につかなくなってしまうぐらい

悲しさに太刀打ちできないことは

目に見えていて。

 

 

だからこそ、自分にできることは、

いつ何が起こっても

悔いのないように。

 

伝えられることは伝えておくこと、

自分が与えられるものを与えられるうちに

与えることを惜しまないこと

だと、それしかないんだと

思うばかりです。

 

 

 

今日、息抜きに

観たいと思っていた映画を

観に寄ろうかなと思ってみたら、

(1日1時間帯しか上映がなくて

先送りしていた。)

 

先週で上映期間が

終わってしまっていました。

 

 

こんなふうに、

「そのうち」と思っていたら

機を逃すこと、

取り返しがつかなくなることっていうのは

 

溢れているんだと思います。

簡単に。

 

 

 

 

6月30日は、

パクヨンハさんの命日。

 

(今月の手帳に書いてあって

毎日目に入るせいか…)

 

ちょっと今日はなんだか

いつも以上に胸にしみて。

明日は目が腫れそうです。

 

 

 

たくさんの愛が溢れていることも

感じる日々です。

それはnote日記に書くつもりです。

 

 

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ではまた。

おやすみなさい。